日本歴史地名大系 「米岡村」の解説 米岡村よねおかむら 鳥取県:八頭郡郡家町米岡村[現在地名]郡家町米岡・国中(くになか)石田百井(いしだももい)村の西、私都(きさいち)川の南岸、八東(はつとう)川の北岸に位置し、村の西端で両川が合流する。慶長九年(一六〇四)六月の池田長政領知目録写(岡山大学付属図書館蔵)に村名がみえ、当村の八三八石余が鳥取城主池田長吉から子の長政に与えられている。しかし藩政期の村高に比して多すぎ、村切が異なっていたものと推定される。 米岡村よねおかむら 福井県:鯖江市米岡村[現在地名]鯖江市米岡町・丸山(まるやま)町二丁目・同四丁目経(きよう)ヶ岳の南麓にあり、北西は入(いり)村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では丹生北郡立町(たちまち)村に含まれる。正保郷帳には「印内村」と記され、田方四八石余・畠方二七七石余。元禄郷帳には「立待印内村」、天保郷帳で米岡村となる。 米岡村よねおかむら 新潟県:上越市旧高田市地区米岡村[現在地名]上越市米岡鶴町(つるまち)村の東、飯田(いいだ)川左岸に位置する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「御料所窪田分此外拾三方分米岡村 上」とみえ、本納二八三石二斗八升七合・縄高五三四石五斗三升五合、家一九軒・一一一人。正保国絵図によると高五八五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by