日本歴史地名大系 「米谷庄」の解説 米谷庄まいたにのしよう 兵庫県:宝塚市米谷村米谷庄武庫(むこ)川左岸に位置する庄園で、現米谷を遺称とする。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)に「米谷庄」とみえ、後白河院庁下文に任せて武士らの濫妨を退け、京都賀茂別雷社に神事用途を備進すべき一庄とされている。「加茂注進雑記」によると、貞観六年(八六四)三月一四日清和天皇は太皇太后宮職勅旨田川辺(かわべ)郡山本(やまもと)郷蕨野(わらびの)四五町九段七〇歩を賀茂社に寄進した。同地が米谷庄で勅旨庄ともいったという。貞和三年(一三四七)一二月一一日の関白二条良基御教書案(多田神社文書)によれば関白二条良基が摂津国米谷庄などを多田(ただ)院(現川西市)に寄進しているが、当庄について寄進の内容は不明。応安元年(一三六八)米谷の分として中在家・野在家に至るまで一六六家に多田院から棟別銭が課せられている(同年四月八日「金堂供養棟別銭注文」同文書)。永和元年(一三七五)には多田加納村々の一つとして、当庄二四〇家に法花堂・常行堂・地蔵堂造営のための棟別銭が課せられている(同年七月二五日「諸堂造営料棟別銭郷村注文」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報