精進池(読み)しようじんがいけ

日本歴史地名大系 「精進池」の解説

精進池
しようじんがいけ

[現在地名]箱根町元箱根

芦之湯あしのゆより元箱根もとばこねに至る道の西側、こまヶ岳の麓、中世箱根越の湯坂ゆさか路の沿道にあたる。多田満仲墓と伝える宝篋印塔があり、その永仁四年(一二九六)銘の部分に「□筥根山之勝地湛精進池之霊泉是当六道之池」と刻され、この池の周辺は六道悪趣の地であり、死者たちの精霊がさまよう場所とみられていた。

周辺には多くの地蔵磨崖仏があり、二十五菩薩地蔵とよばれる磨崖仏には「永仁元八月十八日 一結衆等敬白、右志者為(悉カ)聖霊法界衆生平等利益也」、応長の火焚地蔵とよばれる磨崖仏には「敬白、右志者、為過去聖霊成仏得道之也 藤原氏女 応長元年七月廿日 講衆六十人之頭覚万敬白」、また虎御前墓と伝えられる石造五輪塔にも「右志者、為地蔵講結縁衆等平等利益也 永仁三年十二月 日」と刻されており、この地が死者たちの精霊がさまよう賽ノ河原とみられ、精霊の成仏を願う多くの僧俗結衆によって、永仁元年から応長元年(一三一一)に至る一九年間に地蔵菩薩が造像されたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報