賽の河原(読み)サイノカワラ

デジタル大辞泉 「賽の河原」の意味・読み・例文・類語

さい‐の‐かわら〔‐かはら〕【×賽の河原】

死んだ子供が行く所といわれ冥途めいど三途さんずの川の河原。ここで子供は父母供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。
むだな努力のたとえ。

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日本歴史地名大系 「賽の河原」の解説

賽ノ河原
さいのかわら

[現在地名]箱根町元箱根

芦ノ湖畔旧東海道沿いにある。「風土記稿」によれば、初めは中世の箱根越の湯坂ゆさか路沿いにあった地蔵信仰の霊地精進池しようじんがいけが賽ノ河原とよばれていたが、近世初頭に箱根越の道が須雲すくも川沿いに開削されて湯坂路が衰退したため、地蔵信仰の霊地も移り、精進池周辺は元賽ノ河原とよばれるようになったという。

万治二年(一六五九)頃の「東海道名所記」に「さいのかハらあり。右の方にて、往来のともがら、石をつミ念仏申てとをる也」とあり、また元禄四年(一六九一)に当地を通ったドイツの医師ケンペルは「江戸参府旅行日記」に「湖畔に、粗末な木で作った五つの小さな堂が立ち並んでいた。


賽の河原
さいのかわら

[現在地名]両津市鷲崎

ねがいに近い海沿いにある海食洞窟群。地籍は鷲崎わしざきであるが、古くから願の人々が世話をしてきたので、願の賽の河原とよばれる。面積一三〇平方キロ。高さ約一〇〇メートルの岩壁下にある岩窟で、入口の高さ五メートルほどの窟内には地蔵と積石が多い。北の海中に二ッ亀ふたつがめ島がある。洞窟内に積石をする風習は、室町頃の地蔵信仰に伴い現れた流行といわれるが、祀られた年代は明瞭でない。文化―文政(一八〇四―三〇)頃の佐渡奉行巡村絵図(舟崎文庫蔵)には、「サイノカワラ」「才ノ河原」とあり、願村寄りには「タイナイクグリ」の洞窟や「ハエフシカ沢川」、鷲崎寄りには「タカノスカケ」が記される。

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改訂新版 世界大百科事典 「賽の河原」の意味・わかりやすい解説

賽の河原 (さいのかわら)

冥途にあるという河原。小児が死後に赴き,鬼から苦しみを受けると信じられている。《法華経方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。賽とは石を積んで仏に賽する意と思われるが,さいのかみ(道祖神)のさい(障る)からきた語とも考えられている。石が道祖神と関係があったからである。京都の西郊賀茂川桂川が合流するあたりを佐比の河原といい,平安時代以降埋葬地となっていたが,のちここが《地蔵和讃》にいう賽の河原であるとされるにいたった。

 現在,各地に賽の河原と呼ばれているところがある。火山系の山岳や洞穴のなか,いかにも冥途を思わせるような荒涼たる地に位置し,あの世とこの世の境目と意識されている。また村境の河原や葬地の近くに設定されている場合もある。いずれにも地蔵菩薩の石像や小石を数多く積み重ねた光景がみられる。このようなところの多くは,前代の葬送地であったと考えられる。賽の河原には,子どもの幽霊が現れ,赤子の足跡がのこっていたという伝承をもつところがあるが,これはここで小児の霊魂が管理され,その再生が願われたことを意味していよう。この伝承を赤子塚との関係で考え,賽の河原の原形を赤子塚と推定する説もある。江戸時代に,むだな努力を〈賽の河原の石積み〉にたとえ,また未婚者が死ぬと小児と同じように賽の河原に追いやられるということから,独身者のことを〈賽の河原〉ともいったが,ともに賽の河原信仰によったものである。
三途の川 →地蔵
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賽の河原」の意味・わかりやすい解説

賽の河原
さいのかわら

親に先だって死んだ子供が苦を受けると信じられている冥土(めいど)にある河原。西院(さいいん)(斎院)の河原ともいう。ここで子供が石を積んで塔をつくろうとすると、鬼がきてそれを崩し子供を責めさいなむが、やがて地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が現れて子供を救い守るという。このありさまは、「地蔵和讃(わさん)」や「賽の河原和讃」などに詳しく説かれ、民衆に広まった。賽の河原は、仏典のなかに典拠がなく、日本中世におこった俗信と考えられるが、その由来は、『法華経(ほけきょう)』方便品(ほうべんぼん)の、童子が戯れに砂で塔をつくっても功徳(くどく)があると説く経文に基づくとされる。また名称については、昔の葬地である京都の佐比(さい)川や大和(やまと)国(奈良県)の狭井(さい)川から出たという説、境を意味する賽から出たという説などがある。

[松本史朗]

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百科事典マイペディア 「賽の河原」の意味・わかりやすい解説

賽の河原【さいのかわら】

子どもが死後行き,苦を受けると信じられた,冥土の三途(さんず)の川のほとりの河原。子どもは石を積み塔を作ろうとするが,大鬼がきてこれをこわし,地蔵菩薩が子どもを救う。塞の神(道祖神)信仰と地蔵信仰の中世以来の習合とみられ,仏典には典拠がない。→地蔵
→関連項目三途の川

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世界大百科事典(旧版)内の賽の河原の言及

【鬼】より

… 地獄で亡者を責める役柄の鬼は,千葉県匝瑳(そうさ)郡光町の広済寺で行われる鬼来迎(きらいごう)に登場するが,この鬼に責めてもらった病弱な者は,鬼の持つ霊力によって健康になるという信仰もある。地獄の鬼は京都市の壬生(みぶ)寺に伝承されている大念仏狂言の《賽の河原》《餓鬼角力(がきずもう)》にもみられる。この他,鬼は田楽や能・狂言にも登場する。…

※「賽の河原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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