日本歴史地名大系 「糸魚川城跡」の解説 糸魚川城跡いといがわじようあと 新潟県:糸魚川市一之宮村糸魚川城跡[現在地名]糸魚川市一の宮一丁目・清崎当初の城は現在の市民会館とその周辺高台にあったと思われる。中世末期から天和元年(一六八一)まで糸魚川城の名称は使われるが、いずれも同一の地にあったかは不明。清崎(きよさき)城ともいう。天正一一年(一五八三)四月一三日上杉景勝は糸魚川新地に城を築き、越中浪人を収容し、直江兼続の名で根知(ねち)城主西方房家に材木・薪を出すよう命じている(歴代古案)。同年四月一七日には秋山定綱に「糸魚川新地在城、越中衆」の横目(監督)をするよう命じている(上杉年譜)。その後荻田孫十郎が糸魚川城将になったという(北越略風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by