精選版 日本国語大辞典 「天津神社」の意味・読み・例文・類語 あまつ‐じんじゃ【天津神社】 新潟県糸魚川市一の宮にある神社。旧県社。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、太玉命(ふとたまのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)。稚児舞とよばれる舞楽を伝える。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「天津神社」の解説 天津神社あまつじんじや 島根県:邑智郡邑智町吾郷村天津神社[現在地名]邑智町吾郷江川の北西、二尾(ふたお)山に鎮座。祭神は高皇産霊神。旧郷社。古来、本座大明神とよばれていた。社殿は本殿・拝殿、宝庫・鳥居からなる。祭日は一〇月二九日(旧一〇月一八日)。「延喜式」神名帳にみえる邑智郡三座のうちの「天津(アマツノ)神社」に比定される。社記によると、天武天皇四年(六七五)の創建という。当社は古来石見三宮として尊崇を受けた神社で、「邑智郡誌」は石見国造の祖を祀るとしている。文永三年(一二六六)八月佐波清連らが大願主となって社殿の再造立を行っている(邑智町誌)。 天津神社あまつじんじや 新潟県:糸魚川市一之宮村天津神社[現在地名]糸魚川市一の宮一丁目国鉄糸魚川駅の南東にあり、祭神は瓊瓊杵尊・太玉命・天児屋根命。旧県社。延喜年間(九〇一―九二三)以後、この地は伊勢外宮の神領となり、派遣された代官が三尊を勧請し、その後沼川(ぬのかわ)保の一宮とされたと思われる。近世には別当寺として真言宗高峰山教王院神宮寺があった。慶長一六年(一六一一)には大久保長安により一〇〇石の社領が寄進されている。この時に松平忠輝の領内で一〇〇石を寄進されたのは、当社と居多(こた)神社(現上越市)のみである。 天津神社あまつじんじや 岡山県:真庭郡落合町高屋村天津神社[現在地名]落合町高屋高屋(たかや)の東部、深(み)山北麓にある。祭神は天児屋根命など一六柱で、旧郷社。「作陽誌」によると、古くより正一位天津大明神と称し、当地一帯の真島(ましま)郷一一ヵ村の氏神で源頼朝が神林(しんりん)寺(現久世町)を建立するときに併せて創建されたという。中世、当社に所属した真島注連太夫は美作西六郡の社男務座を独占し、美作二宮(現高野神社)をはじめ各地での神楽興行権を保持した(岡田文書)。宝物に木造獅子頭・木造鼻高面(ともに県指定重要文化財)がある。獅子頭は天文二〇年(一五五一)に上市瀬宮山(かみいちぜみややま)城主の市虎熊丸が、鼻高面は同年当地の市五郎兵衛がそれぞれ寄進したものと伝える。 天津神社あまつじんじや 兵庫県:美嚢郡吉川町宮村天津神社[現在地名]吉川町前田近世の宮(みや)村をはじめ一三ヵ村を氏子とする。旧郷社。祭神は天津彦根命・活津彦根命・天之穂日命・天之忍穂耳命・熊野久須日命。垂仁天皇二五年四月、小神野(おがみの)(現富岡字神谷)に明神が天降ったので、里人たちが現在地へ遷座したと伝える。また一説に祭神は住吉三神と神功皇后といい、境内後方の妙見宮には四神の本地仏薬師・釈迦・阿弥陀・観音の四体が収められている(兵庫県神社誌)。延徳四年(一四九二)郷民たちが協力して再興。慶長六年(一六〇一)姫路城主池田輝政が境内を除地とした。旧高旧領取調帳の宮村に除地六石余とあるのが当社の除地とみられる。 天津神社あまつじんじや 広島県:豊田郡本郷町船木村天津神社[現在地名]本郷町船木 川通沼田(ぬた)川の支流菅(すげ)川が平坂(ひらさか)谷で小流と合流する辺りに鎮座し、祭神は経津主神・武甕槌神・天児屋根命の三柱。相殿に神功皇后・応神天皇・玉依毘売命・須佐之男命・速玉之男神・猿田毘古神を祀る。境内社に平坂神社があり、その祭神は猿田毘古神・須佐之男神・宇迦之御魂神。「芸藩通志」に「天津社八幡宮」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
デジタル大辞泉プラス 「天津神社」の解説 天津神社 新潟県糸魚川市、糸魚川駅近くにある神社。旧県社。毎年4月の春大祭で奉納される天津神社舞楽は「稚児の舞」とも呼ばれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。本殿西側の社殿は「延喜式」に所載の奴奈川(ぬなかわ)神社の論社。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報