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直江兼続 なおえかねつぐ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

直江兼続
なおえかねつぐ

[生]永禄3(1560).越後
[没]元和5(1619).12.19. 米沢
安土桃山時代の武将。父は越後与板の城主樋口兼豊。上杉謙信に美貌と才気をもって寵愛された。輝虎死後,景勝に仕えてその家宰として腕をふるった。天正 10 (1582) 年直江実綱の家を継ぎ,同 16年山城守に任じられた。

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デジタル大辞泉の解説

なおえ‐かねつぐ〔なほえ‐〕【直江兼続】

[1560~1619]安土桃山時代の武将。越後の人。山城守と称す。上杉謙信景勝に仕え、名家老として知られた。慶長12年(1607)、活字によって刊行した「文選(もんぜん)」61巻は直江版として著名。→直江版

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

直江兼続 なおえ-かねつぐ

1560-1620* 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)3年生まれ。上杉謙信,上杉景勝につかえ執政として家中をささえた。内政外交の手腕にすぐれ,関ケ原の戦い後,会津(あいづ)120万石から出羽米沢30万石に大減封(げんぽう)された藩のたてなおしにあたる。禅林寺をひらき禅林文庫をもうけた。元和(げんな)5年12月19日死去。60歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は樋口(ひぐち)。名は兼継ともかく。別名に重光。号は鉤斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

直江兼続

没年:元和5.12.19(1620.1.23)
生年:永禄3(1560)
安土桃山・江戸前期の武将。越後国与板城主樋口惣右衛門兼豊の子。幼名は与六,名は重光ともいった。はじめ上杉謙信に仕え,その死後,子の景勝に仕え,天正10(1582)年,名門直江の名跡を継いで直江兼続となり,景勝の側近として「執政」などと呼ばれた。早くから豊臣秀吉に接近し,秀吉と景勝の間をとりもち,同16年,景勝が従三位に進んだとき,兼続も従五位下・山城守に叙任されている。秀吉の側近たちとも交流があり,慶長3(1598)年の景勝の越後から会津への転封に際しては,石田三成と一緒になってこれを推進した。主君景勝が会津120万石のとき,兼続は米沢城主として30万石を知行した。関ケ原の戦のきっかけとなったとされる家康弾劾の兼続の手紙が「直江状」として有名であるが,これは偽書である。関ケ原の戦ののち,主君景勝が米沢城30万石に減封されている。古典を収集し,米沢に建立した禅林寺に禅林文庫を設け,また出版も行った。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なおえかねつぐ【直江兼続】

1560‐1619(永禄3‐元和5)
織豊期~江戸初期の武将。上杉景勝の執政。越後魚沼郡上田庄(現,新潟県南魚沼郡)出身の樋口兼豊の子に生まれ,はじめ樋口与六と称した。幼少から景勝の側にあり,景勝が謙信の養子となると春日山に移り,謙信急死後の御館の乱では景勝を助けて勝利に導き,執政の一人として景勝を補佐した。1583年(天正11)三島郡与板を領した直江家の名跡を継ぎ,山城守を称し,94年(文禄3)には5万余石を領する大身となり,与板衆,上田衆,信濃新参衆を駆使して国政を独裁した。

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大辞林 第三版の解説

なおえかねつぐ【直江兼続】

1560~1619) 安土桃山時代の武将。越後の戦国大名。上杉景勝の執政。関ヶ原の戦い後、減封となった米沢藩上杉家の藩政確立に努めた。また、直江版を刊行。米沢藩学問所禅林寺を創設。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

直江兼続
なおえかねつぐ
(1560―1619)

戦国期~近世初頭の武将。越後(えちご)上田(うえだ)城主長尾政景(ながおまさかげ)の家士、樋口(ひぐち)氏の長男で、幼名与六。22歳のとき、上杉家の重臣で与板(よいた)城主直江氏の嗣子(しし)となる。23歳で山城守(やましろのかみ)を称し、越後の戦国大名上杉景勝(かげかつ)の執政として、検地総奉行(そうぶぎょう)、蔵入地(くらいりち)奉行のほか軍事面でも大きな手腕を振るった。1598年(慶長3)、上杉氏の会津移封の際は6万石(米沢(よねざわ)城主)の知行(ちぎょう)を与えられ、1601年(慶長6)、関ヶ原の戦いで減封となった米沢藩(30万石)上杉氏の執政としても藩政確立の総指揮にあたった。治政・軍事両面で知将として知られ、好学の武将として有名。漢詩を詠み、朝鮮出征を機に漢籍を収集し、直江版とよばれる出版事業をおこした。米沢には、学問所禅林寺を創建している。[横山昭男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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世界大百科事典内の直江兼続の言及

【与板[町]】より

…新潟県中部,三島(さんとう)郡の町。人口7484(1995)。越後平野南西部,信濃川西岸にあり,西部は東頸城(ひがしくびき)丘陵の北東端が占める。近世は信濃川舟運(長岡船道(ふなどう))の重要な河港であり,越後屈指の豪商を輩出した。1879年には三島郡役所が置かれ,郡の中心となったが,鉄道網が整備されるにしたがい河川交通は衰えた。産業は,農業よりも商工業の比重が高く,なかでも戦国期の刀鍛冶の流れをくみ近世中期に始められた与板刃物は,特産として知られる。…

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