紀伊国新田(読み)きのくにしんでん

日本歴史地名大系 「紀伊国新田」の解説

紀伊国新田
きのくにしんでん

[現在地名]荒川長政ながまさ

韋駄天いだてん(現北蒲原郡中条町)北方入出野いりでのに開かれた新田村。享保一九年(一七三四)蒲原かんばら早道場はやみちば(現新発田市)の紀伊国屋久左衛門が開発に着手。翌二〇年花立はなだて村地内で荒川から取水する用水建設が荒島あらしま村と共同で着工され、同村など八ヵ村の田一町八反八畝余・畑五反四畝余を用水敷地として用水が引かれた(「入出野新田御普請につき古田畑潰地分地代金帳」渡辺家文書)。元文四年(一七三九)検地を受け、高二〇五石六斗余・反別四一町四反余、うち高八一石三斗余・田畑反別一五町六反九畝余が久左衛門竿請分であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android