朝日日本歴史人物事典 「紀安雄」の解説
紀安雄
生年:弘仁13(822)
平安前期の官人。苅田種継の子。仁明天皇の寵を得た父ゆずりの才能で,幼年にして学業の誉れ高く,大学直講,助教,勘解由次官などを歴任,『貞観格式』の編纂にも加わっている。この間本籍を讃岐国刈田郡(香川県観音寺市と三豊郡の一部)から平安京左京に移し,貞観9(867)年11月,みずからを武内宿禰の後裔と称して改姓を許され,苅(刈)田首から紀朝臣となった。同19年武蔵守となり,簡素を重んじた施政によって称賛を得たが,それは鋳銭長官兼周防守時代(882年に任官)以上のものであったといい,数少ない良吏のひとりであった。詩文をつくる重陽の節に招かれるなど,文才も高く評価されていた。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報