バシリカ法典(読み)ばしりかほうてん(英語表記)Basilica ラテン語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バシリカ法典」の意味・わかりやすい解説

バシリカ法典
ばしりかほうてん
Basilica ラテン語

ビザンティン皇帝バシレイオス1世(在位867~886)が古典復古を目ざして編纂(へんさん)し、その子レオン6世(在位886~912)により892年に公布された、全60巻からなる大法典。レオン3世(在位717~741)の法典『エクロガ』Ecloga legumがキリスト教の大きな影響を受けたのに対し、これはユスティニアヌス帝の法典からその後の注釈書を通じて多く法文を採用し、『勅法彙纂(いさん)』の配列に倣って巻、章が構成されている。しかしこの法典はあまりにも大部なため、実際に適用された痕跡(こんせき)はなく、いくつかの要約書や抜粋書がつくられて、それらが適用されたようである。『バシリカ法典』は後世に大きな影響を与え、法学を隆盛ならしめ、最終的には1345年ごろにハルメノプロスの編纂による『ヘクサビブロス』Hexabiblosを生んだ。これはギリシアで1835年に法典と定められ、1941年民法典の施行まで法律として適用された。

[佐藤篤士]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バシリカ法典」の意味・わかりやすい解説

バシリカ法典
バシリカほうてん
Basilica

ビザンチン皇帝バシリウス1世が計画し,その子レオ6世 (在位 886~912) が完成した 60巻の大法典。内容は,ユスチニアヌス帝の『ローマ法大全』の批判的立場から出発するものの,ここから多くの規定を採用し,ローマ法大全のギリシア語縮小版ともいえる。しかし,ビザンチン帝国におけるユスチニアヌス帝法およびユスチニアヌス帝以後の法を知るうえで,またこれらの実証的研究を知るうえで最も重要な法律学上の記念碑である。

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