納屋蔵町(読み)なやくらまち

日本歴史地名大系 「納屋蔵町」の解説

納屋蔵町
なやくらまち

[現在地名]四日市市くら町・しん町・はま町・北納屋きたなや町・中納屋なかなや

納屋本なやほん町、また蔵町ともいう。四日市町の東海岸付近に位置する。東海道の往還四辻から東へたて町・なか町・浜町を経てここまで東西の道が通ずる。西は思案しあん橋を渡って浜町。北は北納屋町、南は中納屋町。当町を中心として南北に広がる地域には、四日市町の商人・廻船関係の蔵・納屋が立並んでいた。旧版「四日市市史」によれば、この地は寛永年間(一六二四―四四)までは洲浜であり、わずかの納屋が点在するのみであったが、寛文年間(一六六一―七三)頃、前記道路が通じて以降発展したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む