紙工村(読み)しとりむら

日本歴史地名大系 「紙工村」の解説

紙工村
しとりむら

[現在地名]御津町紙工

宇甘うかい川中流に位置し、東は宇甘上うかいかみ村、西は虎倉こくら村に接する。建仁三年(一二〇三)の備前国麦惣算用帳(東大史料編纂所蔵)に「紙工并勢実保也」とある。弘安一〇年(一二八七)四月一九日の関東下知状(神田孝平氏所蔵文書)によれば、弘長二年(一二六二)以前に、長田おさだ庄雑掌と賀茂かも郷中村新山下賀茂地頭式部頼泰・鶴峯河内村地頭式部光藤ならびに紙工保地頭式部光高との間で、「庄官職事」「検断事」「狩猟并賀茂郷小河漁事」などにつき相論が起きている。吉備津彦神社神事などを書上げた康永元年(一三四二)の「備前一宮社法」に「しとり村上下三社」とあり、年二度の祭に一宮から「ねき一人、左行事より一人、楽頭衆、二ノみ子」が奉仕しており、三社からは「御せん三せん、御へんノたノうほ三こん、御羽そろへとてきぢの鳥一つかい、くしかたのもち卅三、みきの三升三合、すもうのちからあはせとてだんごもち百廿、さか木御へいのもととて、銭廿疋」を進上していたが、近年は奉行一人が参加しているだけで、「まへかみとてひろ中紙二束二てう」を一宮へ進上しているとある。

寛永備前国絵図に紙工三ヵ村、高五一三石余とあり、枝村に久保くぼ天満てんまがある。正保郷帳では、紙工上村とあり、高五一三石余、枝村は同じ。貞享三年(一六八六)に紙工三ヵ村と村名を旧称に復し(撮要録)、「備陽記」では本村の田畑二八町一反余、家数五二・人数三九〇、池一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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