日本歴史地名大系 「紫合村」の解説 紫合村ゆうだむら 兵庫県:川辺郡猪名川町紫合村[現在地名]猪名川町紫合下阿古谷(しもあこたに)村の南に位置する。東から北西に向かう丹波への道から、村の東部で能勢(のせ)に通じる道が阿古谷川沿いに北に延びている。猪名川と阿古谷川との合流地の出合(であい)から西の宮本(みやもと)・東垣内(ひがしかきうち)一帯にかけての段丘崖下に条里地割が残る。中世は多田(ただ)庄のうちで、当時から夕田とともに紫合と記され、同じ地域をさす地名と考えられるものの、文安四年(一四四七)に紫合村のうちに夕田があるという表現が散見する。多田院(現川西市)の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文(多田神社文書)に「夕田」とある。永和元年(一三七五)には「紫合村」の四八家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂造営のための棟別銭を納めている(七月二五日諸堂造営棟別銭郷村注文)。明徳四年(一三九三)二月二八日、赤松時則が「多田庄本田方紫合村別納地」田三町二反余を(赤松時則寄進状)、永享八年(一四三六)三月一一日には野間仲康が「夕田村内トヘ」田二反を(野間仲康寄進状)、さらに文安四年六月三〇日には河瀬秀直が「紫合村内奥林免」二段(「在所夕田」とある)を(秀直寄進状)それぞれ多田院に寄進している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by