20世紀日本人名事典 「細川一」の解説
細川 一
ホソカワ ハジメ
昭和期の医師 元・チッソ水俣工場付属病院長。 水俣病の発見者。
- 生年
- 明治34(1901)年9月23日
- 没年
- 昭和45(1970)年10月13日
- 出生地
- 愛媛県大洲市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大医学部〔昭和2年〕卒
- 経歴
- 大学を出て8年間研究生活を送り、朝鮮道立順天病院に勤務、昭和11年日本窒素肥料(後のチッソ)阿吾地付属病院長、16年水俣工場付属病院長となった。間もなく軍医としてビルマに出征、22年復員、同病院長に復帰した。31年5月原因不明の中枢神経患者が多発し、水俣保健所に報告される。これを機に市医師会、保健所、チッソ付属病院、市立病院、市役所で水俣奇病対策委員会を設置、熊本大学医学部と協力して研究が開始される。同年8月細川の名で厚生省に報告書を提出。細川は34年10月、工場廃液を混ぜた餌をネコに食べさせ(ネコ400号の実験)水俣病が発生したことを工場幹部に報告したが、会社は実験禁止を通告。厚相の諮問機関・食品衛生調査会が同年、有機水銀中毒説を答申したが、工場排水との関係は確認されず、細川は工場のアセトアルデヒド工程の廃水中にメチル水銀化合物があり、ネコへの実験で水俣病発生を証明した報告書を出して退職した。肺がんに倒れた45年7月、水俣病裁判の臨床尋問に応じ、ネコ400号実験の事実を証言し、未発表の実験記録ノートを提出した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報