細川澄之(読み)ほそかわ・すみゆき

朝日日本歴史人物事典 「細川澄之」の解説

細川澄之

没年永正4.8.1(1507.9.7)
生年:延徳1(1489)
室町時代の武将幼名聡明丸。通称九郎。前関白九条政基の子。文亀2(1502)年,細川家当主政元の養子となる。翌年丹波守護。政元が武田元信の要請に応えて丹後の一色義有を攻めるに当たり,同じく養子の澄元と共に再三出陣するが失敗に終わる。永正4(1507)年6月,かねてからの政元の奇行と,澄元の家宰三好之長のこの間の権勢を快く思わない政元の家臣,薬師寺長忠や香西元長は澄之を擁して政元を暗殺。澄元,之長は近江に走り,澄之は将軍足利義澄より家督を認められた。しかしわずかひと月余りで,澄元に味方した一族の高国に宿所の遊初軒を攻められ自害。享年19歳。

(森田恭二)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川澄之」の解説

細川澄之 ほそかわ-すみゆき

1489-1507 戦国時代の武将。
延徳元年生まれ。九条政基の子。細川政元の養子。将軍足利義澄につかえ,丹波守護となる。永正(えいしょう)4年澄之派重臣の香西(こうざい)元長らが養父政元を暗殺した際,おなじ養子の細川澄元を敗走させ家督をついだが,澄元に味方して挙兵した細川高国らに攻められ,同年8月1日京都で自刃(じじん)した。19歳。幼名は聡明丸。通称は九郎。

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