朝日日本歴史人物事典 「細川澄之」の解説
細川澄之
生年:延徳1(1489)
室町時代の武将。幼名聡明丸。通称九郎。前関白九条政基の子。文亀2(1502)年,細川家当主政元の養子となる。翌年丹波守護。政元が武田元信の要請に応えて丹後の一色義有を攻めるに当たり,同じく養子の澄元と共に再三出陣するが失敗に終わる。永正4(1507)年6月,かねてからの政元の奇行と,澄元の家宰三好之長のこの間の権勢を快く思わない政元の家臣,薬師寺長忠や香西元長は澄之を擁して政元を暗殺。澄元,之長は近江に走り,澄之は将軍足利義澄より家督を認められた。しかしわずかひと月余りで,澄元に味方した一族の高国に宿所の遊初軒を攻められ自害。享年19歳。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報