ボルジア(英語表記)Borgia, Cesare, Duc (duke) De Valentinois

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルジア」の意味・わかりやすい解説

ボルジア
Borgia, Cesare, Duc (duke) De Valentinois

[生]1475/1476. イタリア,ローマ?
[没]1507. スペイン,ビアナ近郊
イタリアの政治家。ロドリーゴ・ボルジア(のちのローマ教皇アレクサンデル6世)の息子ボルジア家出身。1492年バレンシア大司教,1493年枢機卿,1495年オルビエト総督。1497年の弟フアンの死に関与したとみられ,この頃から政治的野心をみせ始めた。1498年枢機卿の位から降りることを宣言,同年フランス王ルイ12世からリヨン近くのバレンティノア領を授けられ,以後バレンティノア公と呼ばれた。1499年ルイ12世のいとこでナバラナバール)王の妹シャルロット・ダルベールと結婚。フランスの支援を確実としたのち中部イタリアの征服を目指してイモラ,フォルリリミニ,ペザロ,ウルビノを次々に手中に収め,1502年にロマーニャ公の地位についた。1503年父アレクサンデル6世が突然病死し,チェーザレ自身重い病に倒れると,後任教皇ユリウス2世によって逮捕され,ロマーニャ公の称号を剥奪された。ナポリに逃れたが再び逮捕されてスペインに流刑の身となり,再度脱出に成功してナバラ王国に身を寄せたが,1507年同地で戦死権謀術数に富んだ波乱生涯で,マキアベリがチェーザレの政治的力量をみて『君主論』を執筆したことは有名。

ボルジア
Borgia, Lucrezia

[生]1480.4.18. ローマ
[没]1519.6.24. フェララ
フェララ公妃。ロドリーゴ・ボルジア (のちのローマ教皇アレクサンデル6世 ) の娘。ボルジア家の出身。 1493年ペーザロ伯ジョバンニ・スフォルツァと結婚したが,父教皇はアラゴンとの同盟が必要となったためこの結婚を破棄して,98年アラゴン家のビシェリエ公アルフォンソ (17歳) と再婚させた。だが兄のチェーザレ (→ボルジア,C.) が今度はフランスとの同盟が必要となって,1500年ビシェリエ公を暗殺。このためルクレツィアは 01年エステ家のフェララ公アルフォンソと結婚。 03年父である教皇の死後政争から離れ,フェララ公妃としてその知性美貌ゆえに多くの芸術家から敬愛された。その宮廷はイタリア・ルネサンス期の芸術の中心となった。

ボルジア
Borgia, Juan

[生]1477?
[没]1497.6.14.
ガンディア公。ロドリーゴ・ボルジア (のちのローマ教皇アレクサンデル6世 ) の息子。ボルジア家の出身。父が 1492年に教皇となると,その権威を背景にスペインのガンディア公となった。 97年ローマ貴族オルシニ家との戦いで教会軍総司令官をつとめたが敗北。父に愛され,要職を与えられたが,それをねたんだ兄チェーザレ (→ボルジア,C.) に暗殺されたとされている。

ボルジア

「フランシスコ・デ・ボルハ」のページをご覧ください。

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