ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソラーリ」の意味・わかりやすい解説
ソラーリ
Solari, Cristofaro
[没]1527. ミラノ
イタリアの彫刻家,建築家。ソラーリオともいう。通称イル・ゴッボ。アンドレア・ソラーリは弟。主としてロンバルディアで活躍。作品『ルドビコ・イル・モロとベアトリーチェ・デステの墓』 (1497~99,パビア,チェルトーザ・ディ・パビア) 。
ソラーリ
Solari (Solario), Andrea
[没]1524
イタリアの画家。 1490~93年ベネチアに滞在,A.ビバリーニ,アントネロ・ダ・メッシナの手法を吸収。のち生地ミラノに帰ってレオナルド芸術の決定的影響を受ける。 1507~09年にはフランスのゲーリョンでも制作している。作品は『緑色のクッションの聖母』 (1507,ルーブル美術館) など。
ソラーリ
Solari, Guiniforte
[没]1481
イタリアの建築家,彫刻家。ミラノで活躍した。ジョバンニの息子。パビアのチェルトーザ修道院内部聖堂 (1453~73) ,ミラノのオスペダーレ・マジョーレやサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂 (65~90,のちブラマンテによって改築) など,そのほかいくつかの聖堂の内部などを手がける。
ソラーリ
Solari, Pietro Antonio
[没]1493/1516以後.モスクワ
イタリアの建築家,彫刻家。ソラーリオともいう。最初ミラノで活躍。 1490年ロシアにおもむき,モスクワのクレムリン内の建築などを設計,城壁の数基の塔のほか,純粋にイタリア・ルネサンス様式のグラノビターヤ宮殿 (1487~91) を建造した。
ソラーリ
Solari, Giovanni
[没]1480. ミラノ
イタリアの建築家。主としてミラノで活躍。 1445年ポルタ・ジョビア (のちのスフォルツェスコ城) の仕事を依頼される。スフォルツァ家に仕え,ミラノ大聖堂の仕事などを行う。
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