細川護成(読み)ホソカワ モリナリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「細川護成」の解説

細川 護成
ホソカワ モリナリ


肩書
貴院議員,東亜同文会副会長

生年月日
慶応4年8月3日(1868年)

出身地
熊本県

学歴
学習院卒

経歴
英仏に留学明治26年襲爵、27年帰国して貴院議員となった。叔父長岡護良子爵の影響を受け東亜問題に関心、東京・目白の東亜同文書院第2代院長となった。のち、東亜同文会副会長として中国各地を巡遊。中国留学生のための同院充実に努め、日華親善に尽力した。

没年月日
大正3年8月26日

家族
父=細川 護久(熊本藩主) 弟=細川 護立(侯爵・国宝保存会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「細川護成」の解説

細川 護成
ホソカワ モリシゲ

明治・大正期の侯爵 東亜同文会副会長;貴院議員。



生年
慶応4年8月3日(1868年)

没年
大正3(1914)年8月26日

出身地
熊本県

学歴〔年〕
学習院卒

経歴
英仏に留学、明治26年襲爵、27年帰国して貴院議員となった。叔父長岡護良子爵の影響を受け東亜問題に関心、東京・目白の東亜同文書院第2代院長となった。のち、東亜同文会副会長として中国各地を巡遊。中国留学生のための同院充実に努め、日華親善に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川護成」の解説

細川護成 ほそかわ-もりしげ

1868-1914 明治-大正時代華族
慶応4年8月3日生まれ。肥後熊本藩主細川護久(もりひさ)の長男イギリス,フランスに留学。東亜同文会が清(しん)(中国)の留学生のために設立した東京同文書院の院長となる。のち同文会副会長をつとめた。侯爵。貴族院議員。大正3年8月26日死去。47歳。学習院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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