結城蓄堂(読み)ユウキ チクドウ

20世紀日本人名事典 「結城蓄堂」の解説

結城 蓄堂
ユウキ チクドウ

明治・大正期の漢詩人



生年
明治1年11月10日(1868年)

没年
大正13(1924)年10月6日

出生地
但馬国城崎(兵庫県)

本名
結城 琢

経歴
初め郷儒三宅竹隠に漢詩文を学び、のち大阪で藤沢南岳師事。特に詩については小野湖山に学ぶ。明治22年板垣退助の自由党に入り民権論を鼓吹、30年台湾総督府に入り、台南県誌の編纂にあたった。34年長岡護美に随行して清国に渡り、兪曲園に会して詩を問う。35年日本新聞記者となり、38年雑誌「陽明学」を発行。これより先、31年樺太長官楠瀬幸彦に随行して樺太に赴き、地名調査を行い、32年陸軍経理学校嘱託となって日露戦史の編纂に従事、また39年には梅謙次郎と共に清国を視察した。大正2年茗渓吟社を創立、さらに月池吟社を興す。7年雑誌「詩林」を創刊。著書に「和漢名詩鈔」がある。作品の一部は「明治二百五十家絶句」、改造社刊「現代日本文学全集37」に収める。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城蓄堂」の解説

結城蓄堂 ゆうき-ちくどう

1868-1924 明治-大正時代の漢詩人。
明治元年11月10日生まれ。藤沢南岳,小野湖山らにまなぶ。明治22年自由党にはいり各地を遊説。30年台湾総督府につとめ「台南県誌」を編集。のち茗渓吟社,月池吟社を創立。大正7年雑誌「詩林」を創刊した。大正13年10月6日死去。57歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身本名は琢(たく)。字(あざな)は治璞。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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