明治時代の私法学者。松江(島根県)に生まれる。司法省法学校卒業後、1885年(明治18)東京大学教授となり、フランス、ドイツに留学後、民法、商法を講じた。また、和仏法律学校(法政大学の前身)の教授・学監を兼ねた。90年および92年の2回にわたる商法典と民法典の施行をめぐる法典論争において、民法施行延期論に反対し、即時断行を主唱し、フランス民法学の権威として自由主義的法学者の面目を発揮した。92年法典調査会委員となり、穂積陳重(ほづみのぶしげ)、富井政章(とみいまさあきら)とともに民法を、田部芳(たなべかおる)、岡野敬次郎とともに商法を立案起草した。『民法要義』『民法講義』『商法義解』などの著書があるが、それらは立法者の著述として、とくに『民法要義』は、フランス民法学に造詣(ぞうけい)の深い学者による当時唯一の注釈書として価値が高い。1906年(明治39)韓国統監伊藤博文(ひろぶみ)の招請により韓国法律顧問となり、韓国の法典編纂(へんさん)を助けたが、10年京城(けいじょう)(ソウル)で没した。
[戸田修三]
法律学者。明治政府の行った各種の立法事業に参画したが,とくに現行民法典・商法典の起草者として重要な役割を果たし,また研究・教育を通じて日本の法律学形成の基礎を築いた。松江に生まれ,東京外国語学校を経て,1884年司法省法学校を首席で卒業し,翌年フランスのリヨン大学に留学,89年同大学より法学博士の学位を得た。翌年帰国し,直ちに帝国大学法科大学教授に任ぜられ,和仏法律学校(後の法政大学)学監を兼ねた。ボアソナードの起草した旧民法の施行か延期かをめぐって起こった,いわゆる民法典論争(法典論争)では,実施派の雄として論陣を張ったが,延期決定後は,法典調査会の起草委員に任命され,民法・商法等の起草にあたった。清国の立法事業や同国の留学生の教育にも関心を寄せたほか,韓国の立法事業にもかかわり,その調査のために韓国滞在中,京城で急逝した。著書は,主著《民法要義》全5巻(1896-1901)のほか,《日本商法義解》全5巻(1890-93),《民法原理総則篇》全2巻(1903-04)など多数にのぼり,とくに《民法要義》は,起草者が書いた民法全編にわたる唯一の概説書として,不滅の価値をもっている。
執筆者:平井 宜雄
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明治期の法学者 帝大法科大学教授;法政大学総理;法制局長官。
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(長尾龍一)
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1860.6.7~1910.8.25
明治期の民法・商法学者。法学博士。出雲国生れ。司法省法学校卒。1885年(明治18)ヨーロッパに留学し,「和解論」によりリヨン大学で学位取得。90年帰国し,帝国大学法科大学教授。民法典論争ではボアソナード案を支持した。民法・商法の開拓者で,93年民法・商法の起草委員となり,法典整備にも功績を残した。和仏法律学校の経営にも尽力。
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…ここには,エールリヒのほかに,ウェーバーやK.マルクスの影響もみられる。異質な社会の研究は,岡松参太郎の台湾・満州の慣行調査,梅謙次郎の朝鮮の慣行調査にみられるが,いずれも植民地統治と結びつくものであった。 第2次大戦後日本の法社会学は,まず農山漁村と家族の実態調査と歴史的研究に取り組んだ。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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