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梅謙次郎 うめけんじろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

梅謙次郎
うめけんじろう

[生]万延1(1860).6.7. 松江
[没]1910.8.25. 京城(現ソウル)
明治時代の代表的私法学者。司法省法学校卒業。 1890年東京大学教授。民法典論争における断行派の代表的人物。 92年法典調査会委員となり,民法穂積陳重富井政章と,商法岡野敬次郎,田部芳と,不動産登記法を井上正一,田部芳とともに立案。著書『商法義解』 (2巻6冊,1890~93) ,『民法要義』 (5巻,96~1900) ,『民法原理』 (2巻,03~04) ,『最近判例批評』 (09) など。ことに『民法要義』は現在でもよく参照される。

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デジタル大辞泉の解説

うめ‐けんじろう〔‐ケンジラウ〕【梅謙次郎】

[1860~1910]法学者。島根の生まれ。現行民法商法起草にあたった。法政大学創立。著「民法要義」「商法義解」など。

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百科事典マイペディアの解説

梅謙次郎【うめけんじろう】

日本の私法の先覚者。松江藩出身。司法省法学校卒。東大教授。独・仏に留学後,民法,商法を講義。法典論争では即時断行を主張し,延期後は民法を穂積陳重,富井政章と,商法を田部芳,岡野敬次郎と起草。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梅謙次郎 うめ-けんじろう

1860-1910 明治時代の法学者。
万延元年6月7日生まれ。明治23年帝国大学教授。法典調査会委員として穂積陳重(のぶしげ),岡野敬次郎らと民法・商法を起草。文部省総務長官,和仏法律学校(現法大)校長などを歴任。39年韓国統監部の法律顧問。明治43年8月25日死去。51歳。出雲(いずも)(島根県)出身。司法省法学校卒。著作に「民法要義」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

梅謙次郎

没年:明治43.8.25(1910)
生年:万延1.6.7(1860.7.24)
明治時代の民法学者,商法学者。民法典,商法典起草者のひとり。出雲(島根県)に医師梅薫の子として生まれる。陸軍幼年学校の体格検査に不合格となり,明治8~13(1875~80)年東京外国語学校でフランス語,17~18年司法省法律学校でフランス法を学ぶ。卒業とともに同校教員となるが,18年同校は東大に併合される。19~23年リヨン大,ベルリン大に留学,『和解論』でリヨン大より法学博士号を受ける。帰国して帝大法科大教授,および和仏法律学校(法政大の前身)学監となる。民法典論争では断行派に属し,同法典施行延期後は,穂積陳重,富井政章と共に新法典の起草に,また岡野敬次郎,田部芳と共に商法典の起草に当たった。30~31年法制局長官。韓国統監伊藤博文の信任を得て,1906年韓国政府の法律顧問となり,諸法典を起草した。ソウルで腸チフスに感染し死去。ドイツ人女性と離婚した兄の2万円の慰謝料の支払いのためずいぶん苦労したといわれる。<著作>『民法講義』『商法講義』

(長尾龍一)

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世界大百科事典 第2版の解説

うめけんじろう【梅謙次郎】

1860‐1910(万延1‐明治43)
法律学者。明治政府の行った各種の立法事業に参画したが,とくに現行民法典・商法典の起草者として重要な役割を果たし,また研究・教育を通じて日本の法律学形成の基礎を築いた。松江に生まれ,東京外国語学校を経て,1884年司法省法学校を首席で卒業し,翌年フランスのリヨン大学に留学,89年同大学より法学博士の学位を得た。翌年帰国し,直ちに帝国大学法科大学教授に任ぜられ,和仏法律学校(後の法政大学)学監を兼ねた。

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大辞林 第三版の解説

うめけんじろう【梅謙次郎】

1860~1910) 法学者。松江の人。東大教授。法政大学の創立者。フランス的民法の実施を主張。民法・商法の起草に尽力、明治立法史に大きな業績を残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梅謙次郎
うめけんじろう
(1860―1910)

明治時代の私法学者。松江(島根県)に生まれる。司法省法学校卒業後、1885年(明治18)東京大学教授となり、フランス、ドイツに留学後、民法、商法を講じた。また、和仏法律学校(法政大学の前身)の教授・学監を兼ねた。90年および92年の2回にわたる商法典と民法典の施行をめぐる法典論争において、民法施行延期論に反対し、即時断行を主唱し、フランス民法学の権威として自由主義的法学者の面目を発揮した。92年法典調査会委員となり、穂積陳重(ほづみのぶしげ)、富井政章(とみいまさあきら)とともに民法を、田部芳(たなべかおる)、岡野敬次郎とともに商法を立案起草した。『民法要義』『民法講義』『商法義解』などの著書があるが、それらは立法者の著述として、とくに『民法要義』は、フランス民法学に造詣(ぞうけい)の深い学者による当時唯一の注釈書として価値が高い。1906年(明治39)韓国統監伊藤博文(ひろぶみ)の招請により韓国法律顧問となり、韓国の法典編纂(へんさん)を助けたが、10年京城(けいじょう)(ソウル)で没した。[戸田修三]

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世界大百科事典内の梅謙次郎の言及

【法社会学】より

…ここには,エールリヒのほかに,ウェーバーやK.マルクスの影響もみられる。異質な社会の研究は,岡松参太郎の台湾・満州の慣行調査,梅謙次郎の朝鮮の慣行調査にみられるが,いずれも植民地統治と結びつくものであった。 第2次大戦後日本の法社会学は,まず農山漁村と家族の実態調査と歴史的研究に取り組んだ。…

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