梅謙次郎(読み)ウメケンジロウ

デジタル大辞泉 「梅謙次郎」の意味・読み・例文・類語

うめ‐けんじろう〔‐ケンジラウ〕【梅謙次郎】

[1860~1910]法学者。島根の生まれ。現行民法商法起草にあたった。法政大学創立。著「民法要義」「商法義解」など。

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精選版 日本国語大辞典 「梅謙次郎」の意味・読み・例文・類語

うめ‐けんじろう【梅謙次郎】

  1. 法学者。法博。出雲(島根県出身。司法省法学校卒。東京帝国大学教授法制局長官を経て法政大学を創立。法典調査会委員となり、民法、商法の起草にあたる。主著「民法要義」「商法義解」。万延元~明治四三年(一八六〇‐一九一〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梅謙次郎」の意味・わかりやすい解説

梅謙次郎
うめけんじろう
(1860―1910)

明治時代の私法学者。松江(島根県)に生まれる。司法省法学校卒業後、1885年(明治18)東京大学教授となり、フランスドイツに留学後、民法、商法を講じた。また、和仏法律学校(法政大学の前身)の教授・学監を兼ねた。90年および92年の2回にわたる商法典民法典の施行をめぐる法典論争において、民法施行延期論に反対し、即時断行を主唱し、フランス民法学の権威として自由主義的法学者の面目を発揮した。92年法典調査会委員となり、穂積陳重(ほづみのぶしげ)、富井政章(とみいまさあきら)とともに民法を、田部芳(たなべかおる)、岡野敬次郎とともに商法を立案起草した。『民法要義』『民法講義』『商法義解』などの著書があるが、それらは立法者の著述として、とくに『民法要義』は、フランス民法学に造詣(ぞうけい)の深い学者による当時唯一の注釈書として価値が高い。1906年(明治39)韓国統監伊藤博文(ひろぶみ)の招請により韓国法律顧問となり、韓国の法典編纂(へんさん)を助けたが、10年京城(けいじょう)(ソウル)で没した。

[戸田修三]

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改訂新版 世界大百科事典 「梅謙次郎」の意味・わかりやすい解説

梅謙次郎 (うめけんじろう)
生没年:1860-1910(万延1-明治43)

法律学者。明治政府の行った各種の立法事業に参画したが,とくに現行民法典・商法典の起草者として重要な役割を果たし,また研究・教育を通じて日本の法律学形成の基礎を築いた。松江に生まれ,東京外国語学校を経て,1884年司法省法学校を首席で卒業し,翌年フランスのリヨン大学に留学,89年同大学より法学博士の学位を得た。翌年帰国し,直ちに帝国大学法科大学教授に任ぜられ,和仏法律学校(後の法政大学)学監を兼ねた。ボアソナードの起草した旧民法の施行か延期かをめぐって起こった,いわゆる民法典論争法典論争)では,実施派の雄として論陣を張ったが,延期決定後は,法典調査会の起草委員に任命され,民法・商法等の起草にあたった。清国の立法事業や同国の留学生の教育にも関心を寄せたほか,韓国の立法事業にもかかわり,その調査のために韓国滞在中,京城で急逝した。著書は,主著《民法要義》全5巻(1896-1901)のほか,《日本商法義解》全5巻(1890-93),《民法原理総則篇》全2巻(1903-04)など多数にのぼり,とくに《民法要義》は,起草者が書いた民法全編にわたる唯一の概説書として,不滅の価値をもっている。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「梅謙次郎」の解説

梅 謙次郎
ウメ ケンジロウ

明治期の法学者 帝大法科大学教授;法政大学総理;法制局長官。



生年
万延1年6月7日(1860年)

没年
明治43(1910)年8月25日

出生地
出雲国松江灘町(島根県松江市)

別名
諱=信友,字=子順,号=瑟泉居士,洋々学人

学歴〔年〕
東京外国語学校(フランス語)〔明治13年〕卒,(フランス法),司法省法学校〔明治17年〕卒

学位〔年〕
法学博士(リヨン大学)〔明治22年〕,法学博士(文部省)〔明治24年〕

経歴
明治18〜23年リヨン大学、ベルリン大学に留学。帰国後、帝大法科大学教授。傍ら農商務省参事官、法制局長官、文部省総務長官、和仏法律学校校長(のち法政大総理)などを歴任。また26年法典調査委員会委員として民法、商法の立案起草に貢献した。39年韓国統監府法律顧問となり、その立法事業に当たる。著書に「民法要義」(全5巻)、「民法講義」、「民法原理」(全2巻)、「商法義解」(全5巻)などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「梅謙次郎」の解説

梅謙次郎

没年:明治43.8.25(1910)
生年:万延1.6.7(1860.7.24)
明治時代の民法学者,商法学者。民法典,商法典起草者のひとり。出雲(島根県)に医師梅薫の子として生まれる。陸軍幼年学校の体格検査に不合格となり,明治8~13(1875~80)年東京外国語学校でフランス語,17~18年司法省法律学校でフランス法を学ぶ。卒業とともに同校教員となるが,18年同校は東大に併合される。19~23年リヨン大,ベルリン大に留学,『和解論』でリヨン大より法学博士号を受ける。帰国して帝大法科大教授,および和仏法律学校(法政大の前身)学監となる。民法典論争では断行派に属し,同法典施行延期後は,穂積陳重,富井政章と共に新法典の起草に,また岡野敬次郎,田部芳と共に商法典の起草に当たった。30~31年法制局長官。韓国統監伊藤博文の信任を得て,1906年韓国政府の法律顧問となり,諸法典を起草した。ソウルで腸チフスに感染し死去。ドイツ人女性と離婚した兄の2万円の慰謝料の支払いのためずいぶん苦労したといわれる。<著作>『民法講義』『商法講義』

(長尾龍一)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梅謙次郎」の意味・わかりやすい解説

梅謙次郎
うめけんじろう

[生]万延1(1860).6.7. 松江
[没]1910.8.25. 京城(現ソウル)
明治時代の代表的私法学者。司法省法学校卒業。 1890年東京大学教授。民法典論争における断行派の代表的人物。 92年法典調査会委員となり,民法を穂積陳重富井政章と,商法を岡野敬次郎,田部芳と,不動産登記法を井上正一,田部芳とともに立案。著書『商法義解』 (2巻6冊,1890~93) ,『民法要義』 (5巻,96~1900) ,『民法原理』 (2巻,03~04) ,『最近判例批評』 (09) など。ことに『民法要義』は現在でもよく参照される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅謙次郎」の解説

梅謙次郎 うめ-けんじろう

1860-1910 明治時代の法学者。
万延元年6月7日生まれ。明治23年帝国大学教授。法典調査会委員として穂積陳重(のぶしげ),岡野敬次郎らと民法・商法を起草。文部省総務長官,和仏法律学校(現法大)校長などを歴任。39年韓国統監部の法律顧問。明治43年8月25日死去。51歳。出雲(いずも)(島根県)出身。司法省法学校卒。著作に「民法要義」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「梅謙次郎」の解説

梅謙次郎
うめけんじろう

1860.6.7~1910.8.25

明治期の民法・商法学者。法学博士。出雲国生れ。司法省法学校卒。1885年(明治18)ヨーロッパに留学し,「和解論」によりリヨン大学で学位取得。90年帰国し,帝国大学法科大学教授。民法典論争ではボアソナード案を支持した。民法・商法の開拓者で,93年民法・商法の起草委員となり,法典整備にも功績を残した。和仏法律学校の経営にも尽力。

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百科事典マイペディア 「梅謙次郎」の意味・わかりやすい解説

梅謙次郎【うめけんじろう】

日本の私法の先覚者。松江藩出身。司法省法学校卒。東大教授。独・仏に留学後,民法,商法を講義。法典論争では即時断行を主張し,延期後は民法を穂積陳重,富井政章と,商法を田部芳,岡野敬次郎と起草。主著《民法要義》《商法義解》。

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旺文社日本史事典 三訂版 「梅謙次郎」の解説

梅謙次郎
うめけんじろう

1860〜1910
明治時代の法学者
松江藩出身。ドイツ・フランスに留学後東大教授となる。民法典論争ではフランス市民法の導入を主張しボアソナード案を支持,復古主義の穂積八束 (やつか) らと対立。1893年法典調査委員となり,民法・商法の編纂に従事した。

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367日誕生日大事典 「梅謙次郎」の解説

梅 謙次郎 (うめ けんじろう)

生年月日:1860年6月7日
明治時代の法学者。法学博士;帝国法科大学教授
1910年没

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世界大百科事典(旧版)内の梅謙次郎の言及

【法社会学】より

…ここには,エールリヒのほかに,ウェーバーやK.マルクスの影響もみられる。異質な社会の研究は,岡松参太郎の台湾・満州の慣行調査,梅謙次郎の朝鮮の慣行調査にみられるが,いずれも植民地統治と結びつくものであった。 第2次大戦後日本の法社会学は,まず農山漁村と家族の実態調査と歴史的研究に取り組んだ。…

※「梅謙次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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