デジタル大辞泉 「総見院」の意味・読み・例文・類語 そうけん‐いん〔‐ヰン〕【総見院】 京都大徳寺内にある塔頭たっちゅうの一。天正10年(1582)豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために創建。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「総見院」の意味・読み・例文・類語 そうけん‐いん‥ヰン【総見院】 [ 一 ] 京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。天正一〇年(一五八二)豊臣秀吉が織田信長の菩提(ぼだい)をとむらうため創建。開山は古渓宗陳。境内には信長をはじめ信忠・信雄・岡崎殿徳子(信長女)の墓がある。[ 二 ] 織田信長の法名。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「総見院」の解説 総見院そうけんいん 京都市:北区大宮郷大徳寺総見院大徳寺の塔頭。聚光(じゆこう)院の西にある。天正一〇年(一五八二)に羽柴(豊臣)秀吉が織田信長の菩提を弔うため建立に着手した。開山は玉甫紹、古渓宗陳を勧請開山とする。総見院は信長の法名。秀吉は完成なった当院を中心に、同一三年三月八日信長追悼茶会を催したが(宇野主水日記・天王寺屋会記)、収集道具の展覧や茶湯熱心者への参加呼びかけなど、二年後に行う北野大茶湯の先蹤をなすものであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報