緒方庄(読み)おがたのしよう

日本歴史地名大系 「緒方庄」の解説

緒方庄
おがたのしよう

和名抄」所載の大野郡緒方郷の地に成立した庄園で、郡南西部で現緒方町・清川きよかわ村と現三重みえ町の一部を含む地域に比定される。天平一二年(七四〇)・同一八年、天平勝宝二年(七五〇)八幡宇佐宮に寄せられた封戸を中心に庄園化したとみられ、「宇佐大鏡」に「大野郡伍拾烟緒方庄是也」とある。立庄の時期は不明だが、遅くとも一二世紀中頃までであろう。同書によれば緒方庄は田数二四〇丁で、うち御封田一二〇丁、正上分は稲一千二〇〇束で行い、封租は各年である。佃は一八丁九反で反別三五束の獲稲。余田は一一〇丁で治田と号し、見作に任せ定田丁別三石の所当とある。庄官は緒方郷司職を得て同郷に居住したとされる大神惟盛(緒方氏)子孫が任じられたらしく、平安末期には緒方三郎惟栄が緒方庄庄司であった(「宇佐宮回録勘考」益永家記録など)。治承五年(一一八一)二月惟栄は平家謀反を起こして大宰府を陥れ(「吾妻鏡」同年二月二九日条)、元暦元年(一一八四)七月には宇佐宮焼打事件を起こした(前掲回録勘考など)。その後この焼打事件や源義経に荷担したなどの罪を問われ、文治二年(一一八六)一一月東国に配流された(「後愚昧記」応安四年五月一三日条中原師香勘文など)。この間の元暦二年三月日の女禰宜大神安子・祝大神宮保連署解状案(益永文書)によれば、緒方三郎は緒方庄今永田畠を濫妨しているとある。

文治頃に作成され利用された宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)では、当庄は西参道南側の西中門前二丈分、一殿向拝前の一殿御前甃一丈一尺を負担とあり、年月日未詳の造宇佐宮課役注文案(到津文書)では内庁が緒方庄役となっている。一方、緒方惟栄配流後当庄は鎮西奉行天野遠景の支配下に置かれたらしく、建久六年(一一九五)五月遠景が改補された際の罪科の一として当庄御封田を所従茂経に宛行ったことがあげられている(「征夷大将軍家政所下文写」益永文書)。同八年のものと思われる豊後国図田帳宇佐宮弥勒寺領抜書案(到津文書)では緒方郷三〇〇余丁・宇佐宮領二四〇余丁とある。豊後国弘安田代注進状では緒方庄の田数は二八〇町、宇佐宮領で地頭は大友兵庫頭入道殿とある。大友兵庫頭入道は大友氏三代頼泰(正安二年没)であるから、当庄地頭職は天野遠景の後鎮西奉行となった中原親能を経てその養子大友能直のものとなり、以後大友惣領家に伝えられたと考えられる。貞治三年(一三六四)二月日の大友氏時所領所職等注進状案(大友文書)、永徳三年(一三八三)七月一八日の大友親世所領所職等注進状案(同文書)にも緒方庄がみえるから、南北朝時代も引続き大友惣領家領であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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