織笠村(読み)おりかさむら

日本歴史地名大系 「織笠村」の解説

織笠村
おりかさむら

[現在地名]山田町織笠

織笠川の流域にあって、東はわずかに山田湾に面し、北は飯岡いいおか村・上山田村。浜街道が通る。細浦ほそうら船越ふなこし村に至る脇街道が分岐し、この別れ道には素朴な絵入り道標が立つ。霊堂れいどう北西立神たてがみ館跡がある。慶長一八年(一六一三)五月一九日、織笠町の検断千助らに宛てた南部利直無尽懸銭(佐藤文書)に「無尽の為代物(中略)五拾貫文預け候之間(中略)十ケ月ニ付而壱貫文ニ六百文宛之利銭迄懸、よき代物ニて急度上可申候也」とあり、すでにこの頃織笠には町が開かれ検断が置かれ、しかも町振興のために近隣村々に無尽銭貸付けの行われていたことが知られる。正保国絵図に村名がみえ、高二一一石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入高三四七石余、七ヵ年平均の免二ツ二分九厘四毛。元禄十郡郷帳による〆高は田方二八〇石余・畑方一七五石余、当村に「とゝの木村」が入るとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む