日本大百科全書(ニッポニカ) 「羅従彦」の意味・わかりやすい解説
羅従彦
らじゅうげん
(1072―1135)
中国、北宋(ほくそう)の学者。字(あざな)は仲素(ちゅうそ)、号は予章(よしょう)。南剣州剣浦(けんほ)(福建省)の人。楊時(ようじ)(亀山(きざん))に師事し、門下随一といわれ、羅浮山(らふざん)に室を築いて修学した。晩年に博羅(はくら)県(広東(カントン)省)主簿(しゅぼ)となり、在官中に没した。門下に李侗(りとう)(延平(えんぺい)、1093―1163)がおり、李侗の門下に朱熹(しゅき)(朱子)が出た。学風は、師の学説を継いで「静」のくふうを重んじた点に特色がある。著書に『遵堯(じゅんぎょう)録』『春秋毛詩語解』『中庸(ちゅうよう)説』『春秋指帰(しいき)』『予章集』がある。
[佐藤錬太郎 2016年2月17日]
『山根三芳訳注『羅予章』(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』