中国、北宋(ほくそう)の学者。字(あざな)は中立、号は亀山(きざん)。南剣州将楽(福建省)の人。官は竜図閣直学士(りゅうとかくちょくがくし)に至る。最初程顥(ていこう)(明道(めいどう))に師事し、程顥の死後、弟の程頤(ていい)(伊川(いせん))に師事した。程門の四先生の一人。程顥に従学した後、帰郷する楊時を見送った程顥が、「吾(わ)が道南(みなみ)す」といったのは有名な話で、その語のとおり、楊時によって二程の学説が華中・華南の地に広められ、南宋の朱熹(しゅき)(朱子)や張栻(ちょうしょく)(南軒(なんけん))に継承されていった。『二程粋言』を編集したほか、著に『亀山(きざん)語録』『亀山文集』がある。
[佐藤錬太郎 2016年2月17日]
『鈴木喜一訳注『楊亀山』(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』
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