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楊時 ようじYang Shi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

楊時
ようじ
Yang Shi

[生]皇祐5(1053)
[没]紹興5(1135)
中国,宋の儒者。福建省南剣将楽の人。字は中立。号は亀山。官は竜図閣直学士にいたり,すこぶる治績があった。初め程 顥 (ていこう) に師事,その死後は程頤 (ていい) に従学した。その学には仏教,老荘の影響がみられる。弟子に羅予章がおり二程子学問は彼を通して朱子に受継がれたといわれる。著書に『楊亀山集』 (42巻) がある。

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デジタル大辞泉の解説

よう‐じ〔ヤウ‐〕【楊時】

[1053~1135]中国、北宋の儒学者。将楽(福建省)の人。字(あざな)は中立亀山(きざん)先生と称する。程顥(ていこう)・程頤(ていい)に学び、その正統を継ぐ。朱熹(しゅき)の学の祖といわれる。著「亀山集」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ようじ【楊時 Yáng Shí】

1053‐1135
中国,北宋の思想家。字は中立。亀山(きざん)先生と呼ばれ,楊亀山でも知られる。福建省の人。程顥(ていこう)(明道)・程頤(ていい)(伊川)の高弟。彼が故郷に帰るとき,程顥が〈わが道,南せり〉と言った話は有名。北宋の道学は,彼から羅従彦(予章),李侗(りとう)(延平)をへて朱熹(しゆき)(子)に伝えられるのである。その学風は,静座によって心を涵養(かんよう)するところに特色があるが,程伊川から〈理一分殊〉の思想を引き出した功績も軽視できない。

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大辞林 第三版の解説

ようじ【楊時】

1053~1135) 中国、北宋の儒者。字あざなは中立、号は亀山。官は竜図閣直学士に至る。二程子に学び、その正宗を受け継いだ。その学を羅従彦に伝え、再伝して李侗りとう、三伝して朱熹に伝わった。著「二程粋言」「亀山集」「亀山語録」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

楊時
ようじ
(1053―1135)

中国、北宋(ほくそう)の学者。字(あざな)は中立、号は亀山(きざん)。南剣州将楽(福建省)の人。官は竜図閣直学士(りゅうとかくちょくがくし)に至る。最初程(ていこう)(明道(めいどう))に師事し、程の死後、弟の程頤(ていい)(伊川(いせん))に師事した。程門の四先生の一人。程に従学した後、帰郷する楊時を見送った程が、「吾(わ)が道南(みなみ)す」といったのは有名な話で、その語のとおり、楊時によって二程の学説が華中・華南の地に広められ、南宋の朱熹(しゅき)(朱子)や張(ちょうしょく)(南軒(なんけん))に継承されていった。『二程粋言』を編集したほか、著に『亀山(きざん)語録』『亀山文集』がある。[佐藤錬太郎]
『鈴木喜一訳注『楊亀山』(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』

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