美栄橋跡(読み)みーばしあと

日本歴史地名大系 「美栄橋跡」の解説

美栄橋跡
みーばしあと

近世の久茂地くむじ村北東端に架けられた橋。美栄地高矼とも称された。「琉球国由来記」は那覇と首里をつなぐ道(長虹堤)安里あさと橋・牧志まちし橋・まちかね橋という三つの橋が架けられていたと記し、「南島風土記」は「まちかね橋」が美栄橋の前身かとする。尚敬王二三年(一七三五)に築造された(球陽)。同三二年の新修美栄橋碑によると、数百年来にわたって使用してきた首里やとうまいと那覇をつなぐ長虹ちようこう堤には五つの橋が架かっていた。しかし水深が浅くなり人や舟の往来が不便になったので、紫巾官毛建元らに命じて改修させ、その際に美栄橋が築造された。工事は雍正一三年(一七三五)一〇月八日に起工され、翌年の二月六日に竣工した。碑は正議大夫楊大壮の撰文、都通事楊文彬の書で、裏面には摂政北谷王子朝騎、三司官向和声・蔡温・向汝楫をはじめ、石大工仲村渠筑登之親雲上正久らの名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android