20世紀日本人名事典 「群司次郎正」の解説 群司 次郎正グンジ ジロウマサ 昭和期の小説家 生年明治38(1905)年11月27日 没年昭和48(1973)年1月10日 出生地群馬県伊勢崎市 本名郡司 次郎 学歴〔年〕水戸中〔大正12年〕卒 経歴大正12年東京の映画俳優学校に入り、一時心座に参加して新劇俳優を目指したが、のち作家に転向。昭和5年に発表した「ミス・ニッポン」「マダム・ニッポン」「ミスター・ニッポン」、6年の「侍ニッポン」の四部作がブームとなった。特に「侍ニッポン」は度々映画化されヒットした。戦時中は16〜18年陸軍報道員としてスマトラ、ジャワに渡った。「発声満州」が発禁になってからはあまり作品を発表しなかった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「群司次郎正」の解説 群司次郎正 ぐんじ-じろうまさ 1905-1973 昭和時代の小説家。明治38年11月27日生まれ。新劇俳優をこころざし,河原崎長十郎,村山知義(ともよし)らの心座(こころざ)にくわわる。のち作家に転じ,昭和5年「マダム・ニツポン」,6年「侍ニツポン」を発表。後者は映画化され,主人公の新納(にいろ)鶴千代の名とともにひろく知られた。昭和48年1月10日死去。67歳。群馬県出身。水戸中学卒。本名は郡司次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「群司次郎正」の解説 群司 次郎正 (ぐんじ じろうまさ) 生年月日:1905年11月27日昭和時代の小説家1973年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by