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河原崎長十郎 カワラザキチョウジュウロウ

デジタル大辞泉の解説

かわらざき‐ちょうじゅうろう〔かはらざきチヤウジフラウ〕【河原崎長十郎】

[1902~1981]歌舞伎俳優。2世。東京の生まれ。前進座創立に参加したが、のち退座。「勧進帳」の弁慶、「鳴神」の鳴神上人などが当たり役。

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百科事典マイペディアの解説

河原崎長十郎【かわらさきちょうじゅうろう】

歌舞伎俳優。屋号山崎屋。初世は9世市川團十郎の前名で,つづく2世〔1902-1981〕は9世団十郎の義弟河原崎権之助の子。2世市川左団次一座で修行し,新劇運動にも参加。

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世界大百科事典 第2版の解説

かわらさきちょうじゅうろう【河原崎長十郎】

歌舞伎俳優。(1)初世 9世市川団十郎の前名。(2)2世(1902‐81∥明治35‐昭和56) 本名河原崎虎之助。河原崎座の座元8世河原崎権之助の子。東京新富町に生まれた。1913年5月東京座で長十郎を名のる。19年2世市川左団次一座に加入。31年5月3世中村翫右衛門,5世河原崎国太郎らと前進座を創立。67年政治的意見を異にして退座,独自の活動を続けた。《勧進帳》の弁慶,《屈原》の屈原などが当り役

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大辞林 第三版の解説

かわらざきちょうじゅうろう【河原崎長十郎】

(二世)(1902~1981) 歌舞伎俳優。東京生まれ。中村翫右衛門らとともに劇団「前進座」を興すが、晩年に退座。鳴神上人や「勧進帳」の弁慶などが当たり役。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河原崎長十郎
かわらさきちょうじゅうろう

歌舞伎(かぶき)俳優。[服部幸雄]

初世

9世市川団十郎の前名。出生と同時に6世河原崎権之助(ごんのすけ)の養子になり、長十郎と名づけられた。[服部幸雄]

2世

(1902―81)本名河原崎虎之助(とらのすけ)。屋号山崎屋。8世河原崎権之助の子。東京生まれ。1913年(大正2)襲名。18年から2世市川左団次一座に属して歌舞伎の修業をするとともに、築地(つきじ)小劇場に出演したり、村山知義(ともよし)らと心座(こころざ)を創立したりして新劇運動も行った。31年(昭和6)劇団前進座を創立、中村翫右衛門(かんえもん)と並んで、演技面においても理論面においても座の指導に尽くしていたが、49年(昭和24)に劇団員で集団入党した共産党を67年に単独で脱党を声明し、前進座を離れた。晩年はフリーの俳優を集めて『屈原(くつげん)』『天平の甍(てんぴょうのいらか)』を製作し、自ら主役を演じて全国を巡演した。2世左団次の芸風を受け継ぎ、重厚な演技を得意とした。当り役は鳴神上人(なるかみしょうにん)、『勧進帳』の弁慶など。著書に『勧進帳』(1965)、『歌舞伎入門』(1980)、『ふりかえって前へ進む』(1981)がある。[服部幸雄]

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世界大百科事典内の河原崎長十郎の言及

【新劇】より

…また築地小劇場解散後,土方与志らは〈新築地劇団〉を結成し,1929年5月,金子洋文の戯曲などで第1回公演を持ち,40年の強制解散時まで活動を続けた。この新築地劇団と東京左翼劇場,築地小劇場解散時に残留していた人たちによる〈劇団築地小劇場〉および河原崎長十郎らの〈心座〉の4劇団は,弾圧に抗して相互に連帯しながら30年代初めには活発な政治的演劇活動を行っていたが,満州事変発生以降の政治状況下で弾圧が強化されると,ほぼ33年ころには窒息寸前の状況に陥ってしまう。しかし,34年夏,出獄した村山知義の〈新劇の危機――新劇団大同団結の提唱〉にこたえて,旧東京左翼劇場のメンバーを中心にして〈新協劇団〉が結成され,先の新築地劇団とあわせて,両者が弾圧・強制解散させられる40年まで,いわゆる〈新協・新築地時代〉をつくりだした。…

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