日本歴史地名大系 「羽佐間村」の解説 羽佐間村はざまむら 佐賀県:多久市羽佐間村[現在地名]多久市東多久町(ひがしたくまち)別府(べふ) 羽佐間別府町から南へ牛津川に向かって道が延び、この村で川の北岸に沿って、東は小城(おぎ)藩領牛尾(うしのお)(現小城郡小城町大字池上)方面、西は下鶴(しもづる)村を経て郭内(こうない)へ通じている。両子(ふたご)山系の御制符(邑の直轄地)の大佐古(おおさこ)山・宝満(ほうまん)山の北麓、牛津川の両岸に形成された集落で、平野部でも川の近くのやや低位地にあって常に水害に悩まされた。「丹邱邑誌」の承応二年(一六五三)の「邑中正税」に「小城郡別府郷」のうち地米「羽佐間村同百三十一石七升」とある。郷村としての羽佐間村内の小集落は、同書に羽佐間・新宿・更所・宮元・井手・四反田とあげられている。 羽佐間村はさまむら 静岡県:志太郡岡部町羽佐間村[現在地名]岡部町羽佐間桂島(かつらしま)村の北に位置し、朝比奈(あさひな)川中流域に立地する。寛永一九年(一六四二)の田中領郷村高帳に村名がみえ、高八二石余。享保一五年(一七三〇)幕府領となるまでは桂島村と同様に田中藩領。天明五年(一七八五)旗本大草領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」「駿河記」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by