日本歴史地名大系 「志太郡」の解説
志太郡
しだぐん
〔古代〕
神亀年間(七二四―七二九)の平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡概報」一六―六頁)に「」、天平一〇年(七三八)の駿河国正税帳(正倉院文書)に「志太郡」とみえる。「和名抄」刊本・東急本の国郡部に訓はないが、「延喜式」神名帳の陸奥国志太郡に「シタ」と訓が付され、同国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神亀年間(七二四―七二九)の平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡概報」一六―六頁)に「」、天平一〇年(七三八)の駿河国正税帳(正倉院文書)に「志太郡」とみえる。「和名抄」刊本・東急本の国郡部に訓はないが、「延喜式」神名帳の陸奥国志太郡に「シタ」と訓が付され、同国
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