志太郡(読み)しだぐん

日本歴史地名大系 「志太郡」の解説

志太郡
しだぐん

面積:七七・八三平方キロ
大井川おおいがわ町・岡部おかべ

駿河国の西端に位置し、近世の郡域は南北に長く、北は遠江国榛原はいばら郡と安倍あべ郡、東は安倍・有渡うど益津ましづの三郡、南と西は榛原郡に接し、現在の榛原郡本川根ほんかわね中川根なかかわね川根の三町の東部、島田市・藤枝市・岡部町および焼津市南部にあたる。大井川が西の郡境で、遠江国との国境でもあった。ただし益津郡との郡境は古代から近世の間に大きく移動したようであるが、近世にみられる郡境に確定する時期については明らかでない。

〔古代〕

神亀年間(七二四―七二九)の平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡概報」一六―六頁)に「(駿カ)河国信(太カ)」、天平一〇年(七三八)の駿河国正税帳(正倉院文書)に「志太郡」とみえる。「和名抄刊本・東急本の国郡部に訓はないが、「延喜式」神名帳の陸奥国志太郡に「シタ」と訓が付され、同国玉造たまつくり郡信太郷の訓が「和名抄」高山寺本に「之多」とあるので、これらの訓に従う。古代の郡域は現在の岡部町・藤枝市(南東部は除く)・島田市にほぼ相当し、北東部には山地があり、南西部を流れる大井川が遠江国との国境であった。郡域の大半は大井川の氾濫原で、古代には島状の砂洲が点在し、河川の流路が複雑に入組んでいたと考えられる。「万葉集」巻一四に詠まれた「志太の浦」は当郡の地とされ、大井川の河口が入江となっており、舟が出入りするその入江が志太の浦とよばれたと考えられる。「和名抄」刊本・東急本には大長おおなが大津おおつ葦原あしはら余能よの刑部おさかべ英原ひではら夜梨よなし大野おおの八郷がみえる。諸本により郷名および郷数に異同があり、同書名博本では大津・葦原・余能・刑部・大能おおのの五郷、高山寺本では大津・刑部・英原・大野の四郷となっている。志太郡衙関連遺跡として現藤枝市南駿河台みなみするがだい一丁目の御子みこ遺跡がある。八世紀前半から九世紀にかけての掘立柱建物跡(約三〇棟)や板塀・井戸などの遺構が検出され、「志大領」(志太郡の大領の意か)、「志大」「志太少領」「主帳」などといった郡司の四等官を記載した墨書土器が多数出土しており、志太郡衙跡と考えられている。御子ヶ谷遺跡から瀬戸せと川の対岸約二キロの地には益頭ましず郡衙の推定地とされるこおり遺跡(藤枝市)が所在し、両郡衙が近在しており、志太郡と益頭郡の密接な関係がうかがわれる。古墳の分布については四―五世紀の大型前方後円墳がほとんどなく、方形周溝墓が中心である点が注目される。律令時代の墳墓としては、近年御子ヶ谷遺跡の西側の丘陵から火葬墓を含む滝川たきがわ内瀬戸うちせと墳墓群が発見され、律令官人の墳墓の可能性が指摘される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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