羽倉村(読み)はぐらむら

日本歴史地名大系 「羽倉村」の解説

羽倉村
はぐらむら

[現在地名]久井町羽倉

安芸国豊田郡小林こばやし村・中野なかの村の東に接する備後国御調郡西端の大村。丘陵性の山地が多くの谷を形成し、村の東部を沼田ぬた川の支流仏通寺ぶつつうじ川が流れる。村の中央部に北東から南西方向に低地がみられ、南部の沖谷おきだににも低地が広がる。村を縦貫する道は三次みよしから三次藩の海港忠海ただのうみ(現竹原市)に通じる三次往還で、村の中ほどの丘陵南面に南北に在郷町が発達した。集落は主として丘陵南麓に立地。南部の字備後牛びんごうし高岡たかおか古墳があり、西部の字荒瀬谷あらせだにからは窯跡が発見されている。

中世にはくい庄に属し、慶長三年(一五九八)八月一五日の備後国御調郡杭稲荷社御祭御頭注文(山科文書)にみえる了家(領家)分の名に村内の地名がみえる。村山家檀那帳(山口県文書館蔵)の天正九年(一五八一)分の羽倉の項に、中野村神笠かみがさ城に拠ったと考えられる「大すミ石見守」(元村)、中野村観音かんのん寺か当村安応あんおう寺のいずれかと考えられる感応寺和草わそう村にかかわりのある野上長門守(常高)・木工助(景賀)、当村の末近丹後守(泰放)・大和・甚衛門尉などの名がみえ、中世末期には当村と和草村・中野村などは同一郷とされていたと考えられる。


羽倉村
はのくらむら

[現在地名]小高町羽倉

北鳩原きたはつぱら村の枝郷。小高川の支流まえ川の上流部に位置し、東は同村、北は片倉かたくら(現原町市)。明暦二年(一六五六)北鳩原村から分村(相馬藩政史)、天保郷帳では同村に「古者 北鳩原村・羽倉村弐ケ村」と注記される。明暦二年の高五八石余(相馬藩政史)元禄郷帳に北鳩原村枝郷と注記され高二二四石余。なお元禄検地高は一四六石余、ほかに新田七七石余がある(奥相志)。天明三年(一七八三)の家数二四、嘉永元年(一八四八)の家数八(検地石高収納戸口等調)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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