耶律休哥(読み)やりつきゅうか(その他表記)Ye-lü Xiu-ge; Yeh-lü Hsiu-ko

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「耶律休哥」の意味・わかりやすい解説

耶律休哥
やりつきゅうか
Ye-lü Xiu-ge; Yeh-lü Hsiu-ko

[生]?
[没]統和16(998)
中国,名将。字は遜寧。乾亨1 (979) 年宋の太宗燕雲十六州回復を企図し南京 (現北京) を包囲すると,救援に出軍し,高梁河で宋軍を大破。翌年南面戍兵を指揮して景宗の親征軍に従い,瓦橋関 (河北省たく県) を包囲して宋軍を破り,聖宗即位後は南京留守,南面行営総管となり,南京方面を統治して実績をあげた。統和4 (986) 年宋の太宗が再度北征するとその本軍を岐溝関 (河北省たく県南西) に大破,太宗の北征の意志をくじき,宋国王に封じられた。宋人に最も恐れられた将軍

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む