藤原宣孝(読み)ふじわらののぶたか

改訂新版 世界大百科事典 「藤原宣孝」の意味・わかりやすい解説

藤原宣孝 (ふじわらののぶたか)
生没年:?-1001(長保3)

平安中期の廷臣。藤原氏北家の高藤系で,右大臣定方の曾孫,為輔の子。紫式部の夫。紫式部の父為時と為輔はいとこであり,宣孝と式部は,またいとこである。正五位下。中宮大進,左衛門尉,蔵人,院判官代,大宰少弐を経て985年(寛和1),丹生社に祈雨の使となっている。990年(正暦1)御嶽精進(みたけそうじ)を行い,その年筑前守となっている。紫式部との結婚は998年(長徳4)の末か翌999年(長保1)のはじめといわれる。998年には,石清水臨時祭,賀茂臨時祭の舞人を奉仕している。同年,山城守を兼任。11月末には豊前国宇佐神宮の奉幣使に任ぜられ,翌年帰京。この年4月平野臨時祭の勅使となり,7月相撲召合にも武官として列席,10月殿上音楽にも出仕している。紫式部との間には賢子弁乳母大弐三位ともよばれる)が生まれた。1001年4月25日に流行の疫病にかかって没した。紫式部以外の妻には下総守藤原顕猷(あきみち)女,讃岐守平季明女,中納言藤原朝成女などがある。天元5年から長保3年(982-1001)までの日記があった。《石清水文書》に宣孝の署名と花押がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原宣孝」の解説

藤原宣孝 ふじわらの-のぶたか

?-1001 平安時代中期の官吏
藤原為輔の子。母は藤原守義の娘。長保元年ごろ紫式部を妻とし,ふたりのあいだに賢子(大弐三位)が生まれている。筑前守(ちくぜんのかみ),山城守などを歴任。正五位下。疫病により長保3年4月25日死去。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原宣孝の言及

【紫式部】より

…彼女は幼時に母(藤原為信の女)を失い,未婚時代が長かった。996年(長徳2)越前守となった父とともに北陸に下り,翌々年帰京,父の同僚であった山城守右衛門佐の藤原宣孝と結婚,翌年賢子(のちの大弐三位(だいにのさんみ))を産んだ。1001年(長保3)夏に宣孝が死に,その秋ごろから《源氏物語》を書き始めた。…

※「藤原宣孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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