聴濤克巳(読み)キクナミ カツミ

20世紀日本人名事典 「聴濤克巳」の解説

聴濤 克巳
キクナミ カツミ

昭和期の労働運動家,ジャーナリスト 産別会議初代議長;朝日労組初代委員長;元・「アカハタ」編集局長。



生年
明治37(1904)年1月11日

没年
昭和40(1965)年8月30日

出生地
香川県多度郡多度津町

学歴〔年〕
関西学院〔昭和2年〕卒

経歴
昭和2年朝日新聞社入社。ロンドン特派員、欧米部長から18年に論説委員。敗戦後の20年、日本共産党に入党、朝日新聞労働組合初代委員長となる。21年2月全日本新聞通信放送労組(現・日本新聞労働組合連合)を結成、委員長となり、8月産別会議を結成、議長となった。22年の2.1スト準備中、右翼に襲われ1ケ月の重傷。23年朝日新聞を退社。「アカハタ」編集局次長で共産党本部入り。24年東京6区から衆院議員に当選するが、25年6月のレッドパージ議席を奪われた。26年密出国、ベルリンの世界平和評議会第1回総会に出席、ベルリン、プラハで活躍、33年帰国。同年共産党幹部会員、書記局員、「アカハタ」編集局長を歴任。39年の春闘公労協の4.17ストを挑発行為と非難した4.8声明の責任を問われて自己批判、幹部会から外れて中央委員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「聴濤克巳」の解説

聴濤克巳 きくなみ-かつみ

1904-1965 昭和時代の新聞記者,労働運動家。
明治37年1月11日生まれ。朝日新聞社にはいり,昭和18年論説委員。20年同社労組初代委員長。のち全日本新聞通信放送労組委員長,産別会議議長。また20年共産党に入党し,33年「アカハタ」編集局長,党幹部会員となった。24年衆議院議員。昭和40年8月30日死去。61歳。香川県出身。関西学院大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「聴濤克巳」の解説

聴濤 克巳 (きくなみ かつみ)

生年月日:1904年1月11日
昭和時代の労働運動家;ジャーナリスト。全日本新聞通信放送労組委員長
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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