国営企業体等労働組合協議会の通称。国営企業労働関係法(国労法)の適用下にある労働組合のうち,旧総評(1989年解散)に加盟する,全逓,全林野,全印刷,全造幣の4労組とオブザーバー加盟の政労連(政府関係法人労働組合連合)で結成している協議会。前身の公共企業体等労働組合協議会は1953年に結成され,公共企業体等労働関係法(公労法)が適用された,国労,全逓,全電通,全林野,動労,全専売,全印刷,全造幣,アル専の9組合が加わった。
公労協は1956年にはじまった春闘に参加し,60年の安保改定阻止闘争でも大衆動員の主力となり,6月4日,15日には統一ストの中心となった。翌61年春闘でははじめて公式にストライキの用語を使い,64年には半日規模の大規模なスト(四・一七スト)が準備された。その回避をめぐって池田勇人首相と太田薫総評議長との会談が行われ,公労協の賃上げの〈民間準拠〉の原則が確認された。だが,その後もスト参加者に対する処分も多く,1953年から77年までの25年間の処分者総数は166万人(うち解雇・免職は1047人)にのぼった。このため公労協は,1958年以来ILO87号条約批准闘争(団結権の自由)や73年以降のスト権奪還闘争(とくに1975年11~12月の8日間にわたる統一ストライキ)を組織した。その後,82年にはアルコール専売事業が特殊法人になり,85年には日本電信電話公社と日本専売公社,さらに87年には日本国有鉄道が民営化された。その結果,公労法が適用されなくなった関係組合が退会し,構成組合が国営企業関係のみとなったため,名称を現在の国営企業体等労働組合協議会と変更したが,通称としての公労協はそのままに残した。公務員共闘(旧総評系),全官公(旧同盟系)とともに解散し,2003年10月新たに公務労協(正称・公務公共サービス労働組合協議会,09年公称180万人)が結成された。これにより連合内のすべての官公労組を一本化した共闘組織が成立した。
執筆者:高木 郁朗
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1953年(昭和28)三公社五現業関係労組によって結成された公共企業体等労働組合協議会、およびその後身である国営企業等労働組合協議会の略称。
[編集部]
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…こうした勢力の台頭にともなって,春闘においても67年には〈JC春闘〉という呼声が聞かれるようになり,ストなしで妥結する鉄の〈一発回答〉によって春闘相場が領導される傾向がみえはじめた。 これに対して,総評運動のなかでは,1960年代半ば以降,国労,動労,全逓など公労協傘下の単産を中心として,職場に根をすえた運動づくりによって戦闘力の回復が進められていった。国労では,〈職場に労働運動を〉というスローガンのもとに職場交渉権の獲得を目ざす運動が進められていった結果,60年代末には事実上団体交渉の場としての性格をもつ現場協議制が成立するにいたった。…
※「公労協」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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