自衛隊イラク派遣

共同通信ニュース用語解説 「自衛隊イラク派遣」の解説

自衛隊イラク派遣

米国が「有志連合」を率いて2003年に起こしたイラク戦争後の人道復興支援を名目に実施。陸上自衛隊は04~06年、南部サマワに派遣され、医療指導や給水、道路の修復などに当たった。活動は「非戦闘地域」に限定されたが、宿営地や周辺への攻撃は十数回に上った。航空自衛隊も04~08年、クウェートを拠点に陸自多国籍軍兵員物資などをイラクへ輸送した。市民らが国に派遣差し止めなどを求めた訴訟も提起され、名古屋高裁は08年4月の判決で、空自の活動を「他国の武力行使と一体化した行動であり、憲法9条などに違反する」と初の違憲判断を示した。

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知恵蔵 「自衛隊イラク派遣」の解説

自衛隊イラク派遣

2003年12月26日に航空自衛隊の先遣要員が出発、04年1月22日に航空自衛隊の本隊(C130輸送機3機、約200人)、2月3日に陸上自衛隊の本隊(約600人)が出発した。陸上自衛隊はイラク南部のサマワに駐屯、800m四方、周囲に土塁を巡らせ堅固なコンクリート営舎を備えた要塞を築いて半ば籠城した。復興支援の目的上も、襲撃の危険を減らすためにも、地元民との友好関係維持に気配りし、他国軍の車両はイラク人の車とすれ違う際、警戒して機関銃を向けるのに対し、自衛隊の車列はシートの陰で銃を構えさせ、指揮官は体を乗り出して手を振ることにしていた。住民の宴会と聞けば羊を買って届け、無価値の荒れ地に年約3000万円の地代を払い(他国軍は無償で占領)、復興事業に1日約1000人を雇用するなど、日本の選挙戦術そのままの人気取り作戦はイラクでも通用し、陸上自衛隊は06年7月17日に撤収が完了するまでの2年半、1弾も発射せず、死傷者ゼロの記録を残した。駐屯地とその付近へのロケット弾などの発射、道路脇爆弾の爆発は14回起きたが、陣内に落下した砲弾も信管を外してあったり、道路脇爆弾も火薬の量がごく少ない、など警告の域を出ず、憎まれていないことを示した。派遣の経費は06年3月末までで743億円だが直接復興に使ったのは約30億円で、大半は運搬費、諸手当、器材購入などに消えた。航空自衛隊は残留し、従来は主にクウェートからサマワに近いタリル飛行場に陸上自衛隊の物資、人員を運んでいたが、陸上自衛隊の撤収後は米軍などの輸送に当たり、バグダッド空港など危険度の高い事実上の戦闘地域で任務に当たることとなる。

(田岡俊次 軍事ジャーナリスト / 2007年)

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