日本歴史地名大系 「興宗寺」の解説 興宗寺こうしゆうじ 福井県:福井市福井城下表御堂町興宗寺[現在地名]福井市松本三丁目牛鼻山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。開基行如は俗名を北条次郎時村と伝え、一四世紀初頭、坂井(さかい)郡長畝(のうね)郷田島(たじま)(現福井県坂井町)に一宇を建立し、但馬興宗寺とよばれた。「反故裏書」によれば、行如は応長元年(一三一一)如導らとともに足羽(あすわ)郡大町(おおまち)(現福井市)で本願寺三世覚如の教化を受けた。蓮如の吉崎(よしさき)(現福井県金津町)在住の頃は多屋衆として活躍、のち加賀へ移った。本願寺証如の「天文日記」天文八年(一五三九)閏六月四日条に「就当番儀、加州興宗寺樽出之」とみえる。慶長六年(一六〇一)の本願寺の東西分立に際して加賀月津(つきづ)(現石川県小松市)に東派の興宗寺を分寺し、当寺は北庄柳(きたのしようやなぎ)町(現福井市)御坊内へ移り、万治二年(一六五九)の大火で類焼後、表御堂(おもてみどう)の東隣の地に移り、第二次世界大戦後に現在地に移った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by