コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

興意法親王 こういほうしんのう

2件 の用語解説(興意法親王の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

興意法親王 こういほうしんのう

1576-1620 織豊-江戸時代前期,誠仁(さねひと)親王の第5王子。
天正(てんしょう)4年10月12日生まれ。慶長15年近江(おうみ)(滋賀県)園城寺(おんじょうじ)長吏となる。19年豊臣氏がたてた方広寺大仏殿の棟札に前例にない銘文をかき,また徳川氏調伏の嫌疑で蟄居(ちっきょ)する。のち疑いがとけ,幕府の寄進で照高院を白川に再建した。元和(げんな)6年10月7日死去。45歳。名は邦慶。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

興意法親王

没年:元和6.10.7(1620.11.1)
生年:天正4.10.12(1576.11.2)
安土桃山・江戸前期の皇族。誠仁親王の第5王子,母は新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)。初め円満院へ入るが,天正19(1591)年1月聖護院へ入り,道勝と名乗る。慶長13(1608)年12月興意と改名する。同15年3月三井寺長吏となり,同18年11月二品に叙せられる。同19年8月豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に,書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府の嫌疑を受け蟄居した。元和2(1616)年聖護院寺務および三井寺長吏を退いた。嫌疑が晴れたのち白川に照高院を移し,ここへ入った。同6年9月江戸へ下向,滞在中急死した。

(藤田恒春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

興意法親王の関連キーワード有栖川宮韶仁親王閑院宮載仁親王照光院興意法親王清韓文英八条宮智仁親王酒井貞月弘尊安土桃山時代熾仁親王職仁親王妃淳子

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone