日本歴史地名大系 「舞鶴城跡」の解説 舞鶴城跡まいづるじようあと 鹿児島県:国分市上小川村舞鶴城跡[現在地名]国分市中央二丁目国分平野の東側、標高一四メートルを最高地点とし、手籠(てご)川からの用水に沿い、北に直立する崖を背負う地に築かれた城。御内(おさと)・御内屋敷ともいう。慶長三年(一五九八)家督を島津家久(忠恒)に譲った島津義久が(同年二月「島津忠恒起請文」島津家文書)、隠居するため築いた城で、義久は同九年頃に富隈(とみのくま)城(現隼人町)より転居してきた。ところで当城は東方の直立する崖上に築かれていた山城隼人(はやと)城(国分城、国府新城等ともいう)に接しているため同城と混同されることがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by