舟原村(読み)ふなはらむら

日本歴史地名大系 「舟原村」の解説

舟原村
ふなはらむら

[現在地名]笠松町門間かどま

長池ながいけ村の西方に位置。江戸中期頃北舟原村・南舟原村に分離。南は町屋まちや村。天正一七年(一五八九)一一月、「北舟はら」の三四三石余、「南舟はら」の三三一石余が伊木忠次に宛行われている(「浅野長政・石田三成連署所領充行目録」伊木文書)慶長郷帳には「舟原村上下共」とあり、高六八九石余、旗本中川忠勝領。同家領で幕末に至る。


舟原村
ふなばらむら

[現在地名]河合村舟原

南は大野郡江黒えぐろ(現清見村)、東は黒内くろうち(現古川町)、北は稲越いなごえ村・ほう村。集落小鳥おどり川右岸段丘上に集まり、河床には釜淵かまぶち・高橋などの奇勝があった。村名はブナ原の転訛かと思われるが、里伝によれば川中に舟に似た岩があることによるという。天保郷帳には船原村とある。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳によれば、小鷹利こたかり郷に属し、高五〇石。元禄検地反歩帳では高一三石余、田一町七反余・畑一町四反余。「飛騨国中案内」では免四割二分二厘、家数七(うち百姓六・門屋一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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