舟塚古墳
ふなつかこふん
[現在地名]玉里村上玉里
上玉里の中央の台地上にある。当古墳の北二キロ付近にはかつては多数の小円墳群が存在したが、宅地造成などで大半が消滅し、現在は二、三の古墳を残すのみである。当古墳の南東方、行方郡玉造町沖洲には三昧塚古墳などがあり、西方の石岡市北根本には当県で最大規模の舟塚山古墳・愛宕山古墳がある。
当古墳は全長が八八メートルあり、前方部の発達した古墳で、墳丘西側に周堀(深さ一メートル)と造出状の遺構がみられる。墳丘には埴輪円筒列がみられ、とくに後円部東側と前方部西側によく原形を保つほか、西側裾部から周堀内に家・人物・馬などの形象埴輪が多数発見されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の舟塚古墳の言及
【玉里[村]】より
…1964年に鹿島鉄道新高浜駅周辺に玉里工業団地が造成され,現在,プラスチック,機械,飼料などの工場が操業している。縄文前期の八幡脇貝塚,6世紀中ごろの築造とされる舟塚古墳がある。【千葉 立也】。…
※「舟塚古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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