船山八幡宮(読み)ふなやまはちまんぐう

日本歴史地名大系 「船山八幡宮」の解説

船山八幡宮
ふなやまはちまんぐう

[現在地名]山口市大字仁保下郷 仁保市

祭神は応神天皇・神功皇后・三女神。旧郷社。

社伝によると、建久九年(一一九八)地頭平子重経が、仁保にほ庄内鎮守として鎌倉の鶴岡つるがおか八幡宮を勧請したものという。当初の社殿は現在の源久げんきゆう寺東方にあったと伝え、貞和三年(一三四七)平子重嗣が社地を現在の船山南麓に移した。その折の棟札が「注進案」に載る。慶長五年(一六〇〇)毛利秀元が社殿を再建したがまもなく焼失。同一八年に毛利輝元が再建し神領を寄付した。

「注進案」によると境内には神殿幣殿・御祈祷所・向拝・神楽殿・本地堂・鐘楼などがあり、向拝のみが瓦葺であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android