日本歴史地名大系 「船引村」の解説
船引村
ふなひきむら
現清武町の中央部から北西部に位置し、東は
天正一六年(一五八八)八月四日の高橋元種宛の日向国知行方目録では「庵屋船引」は三〇町とみえる。江戸時代は初め延岡藩領。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高五一一石余の
船引村
ふねひきむら
現船引町の中央部、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現清武町の中央部から北西部に位置し、東は
天正一六年(一五八八)八月四日の高橋元種宛の日向国知行方目録では「庵屋船引」は三〇町とみえる。江戸時代は初め延岡藩領。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高五一一石余の
現船引町の中央部、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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