船曳庄(読み)ふなびきのしよう

日本歴史地名大系 「船曳庄」の解説

船曳庄
ふなびきのしよう

「播磨国風土記」に記される讃容さよ中川なかつがわ里のうちの船引ふなびき山に由来する庄名とされ、「和名抄」にみえる佐用郡中川郷域に成立したと推定される。志文しぶみ川と支流本郷ほんごう川・角亀つのがめ川流域の現三日月町域に比定される。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書、以下断りのない限り同文書)に、山城石清水いわしみず八幡宮護国寺領として播磨国船曳庄とみえ、朝廷は宮寺別当兼同宿院極楽寺院主紀勝清の訴えを認めて、諸国の寺領庄園について、領家・預所・下司・公文などの私的な譲渡処分を停止させている。元暦二年(一一八五)一月九日、源頼朝は平家追討にことよせ守護・武士らが宮寺領の当庄に対し年貢抑留や兵粮米催促などの狼藉を行うことを停止している(源頼朝下文案)


船曳庄
ふなひきのしよう

鎌倉時代にみえる庄園。船引・舟曳などとも記され、現清武町船引付近に比定される。建久図田帳に豊前宇佐宮弥勒寺領として「船曳五十丁」がみえ、弁済使は法印某であった。承久二年(一二二〇)一二月の山城石清水いわしみず八幡宮検校祐清のものと思われる譲状(石清水文書)では、船曳庄の年貢のうち三〇斛は石清水八幡宮別当寺の八幡善法ぜんぽう院の地蔵堂の寺用米とされており、本所への上分供出の庄園として位置づけられていた。文安五年(一四四八)当時、舟曳は伊東氏一族の清武祐恩の知行であったが、それを継承した弟の祐憲から家督の伊東祐尭が知行を奪い、船引は木原きわら加納かのう今泉いまいずみ田野たの(現田野町)とともに伊東氏家督の知行に移った(日向記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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