船恵尺(読み)ふなのえさか

改訂新版 世界大百科事典 「船恵尺」の意味・わかりやすい解説

船恵尺 (ふなのえさか)

〈ふねのえさか〉ともいい,恵釈にも作る。生没年不詳。7世紀中ごろの人。僧道昭の父。少錦下,姓は史。河内国丹比郡の人。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち,さらにその父蝦夷(えみし)に迫ったとき,蝦夷は火を放ち〈天皇記〉や〈国記〉,珍宝を焼いたが,恵尺はすばやく〈国記〉をとり出し中大兄に献上した。船氏は王辰爾を祖とする渡来系氏族で,辰爾は欽明朝に船の賦(みつぎ)を数え録する船長(ふねのつかさ)になったため,船史姓を賜ったという。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船恵尺」の解説

船恵尺 ふねの-えさか

?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏
道昭の父。「日本書紀」によれば,皇極天皇4年(645)大化(たいか)の改新のおり,蘇我蝦夷(そがの-えみし)が死に際して「天皇記」「国記」や珍宝をやいたとき,炎のなかより「国記」をとりだし中大兄(なかのおおえの)皇子(天智(てんじ)天皇)に献じたという。名は恵釈ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の船恵尺の言及

【船恵尺】より

…〈ふねのえさか〉ともいい,恵釈にも作る。生没年不詳。7世紀中ごろの人。僧道昭の父。少錦下,姓は史。河内国丹比郡の人。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち,さらにその父蝦夷(えみし)に迫ったとき,蝦夷は火を放ち〈天皇記〉や〈国記〉,珍宝を焼いたが,恵尺はすばやく〈国記〉をとり出し中大兄に献上した。船氏は王辰爾を祖とする渡来系氏族で,辰爾は欽明朝に船の賦(みつぎ)を数え録する船長(ふねのつかさ)になったため,船史姓を賜ったという。…

【国記】より

…内容は不明だが,《古事記》の原史料となった《帝紀》《旧辞》のうちの《帝紀》に《天皇記》が相当するとすれば,《国記》は《旧辞》で,神代以来の物語の集成かという。《天皇記》《国記》は蘇我大臣家に伝わり,645年(大化1)大臣家が焼かれたとき,《国記》のみは船恵尺(ふなのえさか)が救いだして中大兄(なかのおおえ)皇子に献上したというが残っていない。【青木 和夫】。…

※「船恵尺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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