船生村(読み)ふにゆうむら

日本歴史地名大系 「船生村」の解説

船生村
ふにゆうむら

[現在地名]塩谷町船生

鬼怒川左岸に位置し、西は高徳たかとく(現藤原町)。日光北街道が通り、南の大渡おおわたり(現今市市)とは渡船で結ばれる。安政四年(一八五七)西船生河岸が開設する。今宮祭祀録(西導寺蔵)に舟生郷とあり、今宮いまみや神社(現氏家町)に社家役として拝殿一間を勤仕、また応永一二年(一四〇五)から永禄五年(一五六二)にかけ舟生修理亮や君嶋宮内少輔などが祭礼頭役を勤めている。清水しみず要害山に宇都宮氏に仕えた君嶋氏の居城であった船生城跡がある。「那須記」には城主として君島備中守がみえる。標高約三六〇メートルの山頂に本丸空堀で画した二の丸があり、櫓台跡・土塁などが残る。

慶安郷帳では高一千八六三石余、田方二六〇石余・畑方一千六〇三石余、元禄郷帳では高二千四五二石余。幕府巡見使の通路でもあり、旅宿に指定されると大名の宿泊よりも大掛りであった(「巡見使記録」柿沼武夫文書)。また大名や公儀役人通行の際には、西船生・佐貫さぬきなど六ヵ村が定助郷として勤めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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