日本歴史地名大系 「船部村」の解説 船部村ふなべむら 大分県:杵築市船部村[現在地名]杵築市船部尾上(おかみ)村の西方、谷を隔てた台地にあり、北方の山の斜面に住宅がある。村名の由来は、船用の木材を伐り出した所という説と、船大工が多く居住していたという二説がある。小倉藩慶長人畜改帳では木付上(きつきかみ)庄に属し、家数二二・人数五七(うち本百姓九・代官一・肝煎一)とある。小倉藩元和人畜改帳では高一三〇石余、家数一一・人数五一(うち本百姓九・名子三・下人二)、牛一五。正保郷帳では八坂(やさか)庄の上庄(かみしよう)村のうちに含まれている。元禄郷帳では高一〇二石余。特産品である七島藺の生産のため、溜池が多く造られて水田化された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by