日本歴史地名大系 「芋島村」の解説 芋島村いものしまむら 新潟県:中頸城郡柿崎町芋島村[現在地名]柿崎町芋島柿崎川右岸に位置し、北西は岩手(いわで)村、南東は松留(まつどめ)村と接する。黒岩(くろいわ)通が通る。天正六年(一五七八)六月二九日、上杉景勝は同年の御館の乱において、当地の楞厳(りようごん)寺の意見により柿崎家中の者が味方についたことを賞し、寺領を不入の地とし(「上杉景勝書状」楞厳寺文書)、同一六年三月二〇日には、前々のとおり寺家・門前ともに諸役免除であることを確認している(「上杉景勝朱印状」同文書)。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「柿崎分いものしま村 中」とみえ、家二〇軒・六八人とある。 芋島村いもじまむら 岐阜県:岐阜市旧厚見郡地区芋島村[現在地名]岐阜市芋島一―五丁目・手力町(てぢからちよう)・芋島川添(いもじまかわぞえ)・長森芋島(ながもりいもじま)高田(たかだ)村の南に位置し、南は中島(なかじま)村。北境を境(さかい)川が西流し、集落は同川に沿って細長い。古くの河川敷であったとみられる。長享二年(一四八八)三月一〇日の美濃国長森内領家方年貢銭注文(大徳寺文書)に「イモ嶋」の延藤・又次郎・彦右衛門の名がみえる。慶長郷帳に村名がみえ、高三二六石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では堀直寄(越後長岡藩)領。同五年尾張藩領となり幕末に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by