日本歴史地名大系 「苅谷沢村」の解説 苅谷沢村かりやさわむら 長野県:東筑摩郡坂北村苅谷沢村[現在地名]坂北村刈谷沢江戸時代の松本藩領会田(あいだ)組の一村で、のち坂北組に属す。北は青柳町(あおやぎまち)村、南は東条(ひがしじよう)村(現本城(ほんじよう)村)に接し、西に東条川がある。東山からの西傾斜の村である。天正検地帳には青柳の内苅谷沢村とあり、一九八石八斗二升七合と高付けされている。享保九年(一七二四)当時の石高は二八九石二斗四升七合九勺、水田一一町五段六畝二七歩、畑地一一町二畝一二歩である。慶安四年(一六五一)検地時には本百姓二三軒、半百姓二軒、門百姓八軒であった。村の中には中屋(なかや)・日影(ひかげ)などの集落があり、中屋の東の谷あいに刈谷沢神明宮があり、その東一キロ余の山中に長者平(ちようじやだいら)という台地がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by