日本歴史地名大系 「青柳町」の解説 青柳町あおやぎちよう 北海道:渡島支庁函館市旧函館区地区函館青柳町[現在地名]函館市青柳町明治六年(一八七三)の町名町域再整理の際に成立した町(「事業報告」第一編)。南新(みなみしん)町の南に位置し、谷地頭(やちがしら)町へ向かう尻沢辺(しりさわべ)道の通りを中心とする一帯を町域とした。この通りに一本の大きな柳の老木があったことが町名の由来という(函館地名考)。同九年の現住戸口は一〇九戸・四三六人(函館支庁管内村町別戸口表)。同一二年に開園した函館公園(面積約一万四千六〇〇坪)は官民総動員で造成された北海道初の市民公園で、名勝として広く喧伝された。明治一四年七月に蔭(かげ)町の全域と住吉(すみよし)町・柳(やなぎ)町の一部を編入。同三〇年の戸数二三八・人口九一四(伊藤鋳之助文書)。明治四〇年五月に来函した石川啄木は当町に住み、弥生尋常小学校の代用教員や函館日日新聞の遊軍記者となり、詩や短歌の創作活動を行っていた。 青柳町あおやぎまち 福岡県:古賀市青柳町[現在地名]古賀市青柳町犬鳴(いぬなき)山の西に位置し、南から西は青柳村。同村の枝郷で(元禄国絵図)、唐津街道の宿駅(続風土記附録)。街道を挟んで上町(かみまち)・横町(よこまち)・下町(しもまち)・仲脇(なかわき)があり、東に続く新町(しんまち)は川原(かわばる)村に属する(続風土記拾遺)。上町は南北七三間、横町は同二二間、下町は東西九二間(地理全誌)。当町はもとは青柳村・川原村・今在家(いまざいけ)村の土地であった(続風土記拾遺)。元禄五年(一六九二)には高六六九石余、うち畠高八一石余。家数七三・寺一・社一、人数六一七(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by